表紙








とりのうた 88


 翌日、博己は人目につきにくい都内某所で、秘書の田町と待ち合わせ、当座の方針を話し合った。
 詳しい遺書があることから、坂口社長の自殺はほぼまちがいない。 そのため、形式的な死体検案が終われば、遺体は引き渡されるはずだった。
 密葬は、八日後に決まった。


 坂口義武には、血族が少なかった。 親族といえるのは病弱な妹だけで、一応結婚はしたものの心臓病で無理がきかず、子供はできなかった。
 しかも、坂口義武はオーナー社長だった。 そのため、関連事業の半ば以上の株を所有しており、好むと好まざるにかかわらず、そのすべてが博己の肩にドッとのしかかってくることになった。


 何度も重役会議が開かれ、責任の分担が話し合われた。
 警察は、時効になった事件経過を詳しく発表することはない。 下手をすると名誉毀損になるからだ。
 マスコミにもしばらく取材を控えてもらうことができるが、巷に広がった噂は色々で、中には博己を中傷するものもあった。
 しかし、不幸中の幸いで、社内の結束は固かった。 博己が義父の腹心で相談相手だったため、内情をよく理解しており、系列の動揺を最小限に押さえることができたのが大きかった。


 やがて本社副社長の田辺たなべが社長に昇格し、事業の歯車は再び回り始めた。
 博己も、手がけていた新規ビルのプロジェクトを続行した。 こうして二週間経たないうちに、事件の余波は急速に消え、日常が戻りつつあった。


 ただし、博己個人の私生活は、大きく変わった。
 まず、自宅のマンションを出て、未夏の家に住みついてしまった。 彼のために、未夏はせっせと二階の空き部屋を整理して、折り畳みベッドを運びこんだ。
 外には七人の敵がいるというが、その時期の博己には、周囲の七割が敵といってよかった。 元社長秘書の田町と建設部門の重役たちが味方についてくれたおかげで、ようやく乗り切ることができたのだが、初めはどこへ行っても針のむしろだった。


 そんな博己の心の支えは、未夏だった。 事件の後始末に追いまくられて、十日ほどは睡眠時間もろくに取れないほど出歩いていたが、どんなに遅くなっても、必ず小此木家に帰ってきた。 そして、音を立てないように鍵を開け、そっとすべりこむ。 でも、足音を忍ばせて廊下を上がってくる気配を、未夏は必ず感じ取った。
 ドアから頭を覗かせると、博己は目を合わせたとたん、いつもニコッと笑った。 疲れた顔が優しくほぐれ、伸ばした手と手がしっかりと握り合った。
「悪いな、未夏ちゃんも仕事あるのに」
「へいき。 横になって五秒で眠れるもん」
「そうか。 昔から特技だったっけ」
 他愛のない二言三言。 それが博己の活力になるのだった。










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