表紙








とりのうた 87


 翌朝、七時半に未夏が階段を上って、自分の部屋をノックすると、中からすぐ足音が聞こえて、ドアが開いた。
「もう起きてた?」
「うん、三十分ぐらい前に」
 博己はもう自分の服に着替えていて、ベッドは、まるで誰も寝ていなかったように、きちんと片づけられていた。
「じゃ、顔洗ってくる? 歯ブラシとタオル出してあるよ。 洗面所の場所、知ってるよね?」
「覚えてる」
 懐かしそうに呟くと、博己は廊下に出た。
 未夏は、手早くメイクを済ませ、通勤用のバッグを取って階段を下りた。


 納豆、海苔、味噌汁という伝統的な朝食を、母と三人で取った後、未夏は図書館に出勤した。
 玄関まで見送りに来た博己に、未夏は明るい顔を向けて言った。
「昼休みに一度帰ってくるね」
「うん」
「何か欲しいもの、ある?」
「いや……ああ、着替えだけど、近所で買う」
 それから、ぽつりと呟いた。
「まだカード使えるかな」
 そうだ、名前が違うと、どうなんだろう。 未夏はニコッとして、わざと陽気に答えた。
「会社はバタバタしてて、誰もカードのことなんか思いつかないでしょ。 今のうちに、ごっそり使っちゃえ」
 博己も苦笑して、小さく頷いた。


 図書館は、拍子抜けするほど普通通りだった。 警察も、ここまでは事情聴取に来なかったらしい。 なにしろ、発端は十五年前の事件だから。
 未夏は、昨日の早退を詫びただけで、理由のほうは口を濁した。 幸田みさは、何か勘付いているようで、チラッと意味ありげな視線を投げたが、口には出さなかった。 そして、上司の滝山は、本当に何も気付いていないようだった。

 地元の新聞には、坂口社長の自殺がデカデカと報じられていた。 原因の説明は書かれていない。 統真の母殺しと、それに続く社長の傷害致死は、いずれも時効にかかっているはずだ。 だから、調査はしても発表できないのだろう。


 昼休み、未夏は自転車を飛ばして、一旦家に戻った。 自宅が近いと、こういうとき便利だ。
 急いで玄関に飛び込んだとたん、茶の間から博己が出てきた。 新しいポロシャツとジーンズを着ていた。
 何ともいえない複雑な表情で、博己は未夏に小声で告げた。
「秘書の田町さんに電話かけたんだ。 そしたら、亡くなる前に、社長が改めて、古河博己名義で養子にしたって」
 三和土〔たたき〕に立ったまま、未夏は目を大きく見張った。
「じゃ、今も社長の子供?」
「うん。 坂口博己になった」
 一度に肩の力が抜けた。 博己のために、本当によかったと思った。 坂口社長は、最後まで彼を大切にしてくれたのだ。


 その後は、母を交えて茶の間に入って、時間ぎりぎりまで話した。
 正式な養子になったからは、葬儀の喪主を務めなければならない。 事情が事情だけに、相当な騒ぎが予想された。
「できれば、親しい人たちだけで送ってあげたいよね。 密葬という形にすればいいんじゃない?」
 母の提案に、博己はほっとして、大きく頷いた。











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