表紙








とりのうた 79



 **- 1993年夏(その2) -**


 人を使って調べさせて、博己の言葉がすべて真実らしいことを、義武は知った。
 そして、いっそう少年が好きになった。


 警察へ行こうという義武の勧めに、博己はあまり気の進まない様子だった。
「叔父さん叔母さんは、ほんとは親切な人なんです。 従兄弟の貞彦もいいやつだし。 叔父さんを訴えたら、貞彦は人殺しの子ってことになる」
「黙って、君の金で贅沢させるのか? 許せないだろう?」
「もう贅沢できない。 ほとんど使っちゃってたから」
「なんて奴らだ!」
 義武は思わず唸った。
「じゃ君、これからどうする?」
「働きます」
 淡々と、博己は答えた。 義武はむきになって反論した。
「まだ中三だし、もう二学期残ってるだろう? 君は体もそう大きくない。 子供だと思って雇ってくれないよ。
 ただ、元の中学へ行ったら、生きてると叔父さんたちにばれるしな。 幸い、まだ夏休み中だ。 ここでゆっくり考えて、結論を出そう」


 帰りの車で、義武は解決法を考えた。 あの子に新しい戸籍を買ってやるのはどうだろう。 何か抜け道があるはずだ。 義武は、少年を手放したくなかった。 彼といると心が休まる。 将来に希望が持てるのだった。
 なんとなくわくわくした気分で自宅へ戻ったとき、義武には何の不吉な予感もなかった。


 六時少し前に家へ着いた。
 玄関を入り、広いエントランスホールに上がろうとすると、階段の上から統真が身を乗り出しているのが見えた。
 約一ヶ月ぶりの帰宅だ。 義武の顔が険しく変わった。
「帰ってたのか」
「帰ってたよ」
 せせら笑うような声が戻ってきた。
「金なくなっちゃってさ。 お母様に頂きに来た」
「もう駄目だ」
 ふかふかしたカーペットの上に立って、義武は息子を見上げ、きっぱりと言った。
「どこで四十万も使った。 四十万といえば、若いサラリーマンが二ヶ月暮らせる金額だぞ」
「一人じゃないから。 友達は大切だ。 お父様もそう言ってるじゃない?」
「おまえに友達なんているのか!」
 言い捨ててから、しまったと思った。 案の定、急いで目を走らせた統真の顔は、ふくれて強ばった表情に変わっていた。
「いるよ。 いないのはお父様だろ? それにお母様も。 あんなにケチだと友達できないよ。 お父様と同じ。 だから、しょうがなかったんだ」
 しょうがなかった? その言い方に、義武は引っかかった。
「何がしょうがないんだ?」
「お金、渡してくれないから、あんなことになるんだよ」


 胸騒ぎがした。 義武は二段飛ばしで階段を駆け上がり、寝室に飛び込んだ。
 バルコニーに出るための掃き出し窓が大きく開いて、カーテンが風に舞っていた。 白いバルコニーに足を踏み出し、下の庭を見下ろしたとたん、義武は息を呑んだ。
 クリーム色のロングワンピース姿の妻みゆきが、タイル敷の上にねじれた姿勢で倒れていた。


 庭の手入れが好きなみゆきのために、バルコニーから階段が作ってある。 その階段を使って、義武は庭に駈け下り、妻を抱き起こした。
 その体は、力なくだらりと腕にぶら下がった。 ガラスのような目が開いたままだ。 息がないのは、すぐにわかった。
 居間のソファーに寝かせて医者を呼んだ後、義武は再び階段を駆け上った。
 統真は、前と同じ場所にいた。 平然と落下避けのフェンスに寄りかかり、母の財布を開けて金を数えていた。
 その開き直った姿を見た瞬間、義武の中で何かが音を立てて切れた。
 こいつは俺たちの息子じゃない。 何かの間違いで押し付けられたんだ。 きっと産院で取り替えられたに違いない。 本当の息子は、古河博己みたいな、ああいう子供のはずなんだ!
 いきなり飛びかかってきて首を締めあげる父を見て、初めて統真は真の恐怖を感じたらしかった。
 彼は驚きと苦痛の表情を浮かべ、かすれた声で哀願した。
「壊れちゃって……バイク壊しちゃって、代わりが欲しかったの……ごめん、なさい、お父様……痛いよ、離して……」
「くたばれ!」
 やけくそで怒鳴ると、義武は力まかせに息子を突き放した。
 勢いあまって、統真の細い体はフェンスを乗り越えた。 そして、ひび割れた悲鳴と共に下の陳列台にぶつかり、半回転して床に落ちて、動かなくなった。








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