表紙








とりのうた 72



 通帳をハンカチにくるみ、バッグに落とし込んで、未夏は泳ぐように境内を出た。
 太陽光線は、まだそれほど強くない。 だが、未夏は目がくらんだ。 道が鈍く光って、揺れて見えた。


 これで、十五年前の夏の夜に起きた火事が、まったく違う様相を呈してきた。
 貞彦が合宿に行き、送っていった両親は温泉に泊まった。 あの夜、家に残っていたのは、博己だけだった。
 そして、不意に出火した。
「嫌……」
 未夏は小さく呻いた。 どす黒い火災の幻が、追い払っても追い払っても頭にこびりついて離れなくなった。
――焼けた家にヒロちゃんがいないとわかって、貞彦のお母さんは取り乱した。 なのに、ヒロちゃんを探そうともしなかった。
 大急ぎで引っ越していった。 誰にも新しい住所を教えないで――


 逃げたんだ。


 そう考えると、昔は不思議だった彼らの行動の意味が、理解できた。


 古河夫妻は、博己に睡眠薬を飲ませるか、殴り倒すかして気を失わせ、煙草の吸殻を布団に置いて、アリバイ作りに外出した。 もしかすると前もって、どのぐらいの時間で火が移るか、試していたかもしれない……。


 横領した博己の金で、新しい家を建てたんだろうか。
 そう思うと、未夏は吐き気を感じた。
 貞彦が家出して、不良になった気持ちが、ようやくわかった。 寿命が半分に縮まってもいいから昔に戻りたい、と言った言葉の、真の意味も。


 今度こそ、涙が出てきた。
 未夏は、賑やかな通りを後にして角の公園に入り、ベンチに坐って、ぼやけた眼で小さな水飲み場を眺めた。
――古河さん一家は、ヒロちゃんから逃げた。 復讐されるのが怖かったんだ。
 でも、ヒロちゃんは何もしなかった。 この通帳を取りに来なかったのが、その証拠だ。
 そんな優しいヒロちゃんが、ホームレス殺しなんて……ありえない。
 第一、ヒロちゃんなら、坂口統真なんてはずがないし!――









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