表紙








とりのうた 66



 長いやりとりが終わると、坂口は携帯をポケットに放り込み、一瞬天を仰いだ。
 それから、ゆっくりした足取りで、未夏の元に戻ってきた。
「帰らなくちゃ。 もうちょっと一緒にいられると思ったのにな」
「今日はご馳走さまでした。 楽しかった」
 未夏が挨拶したとたん、手を握られた。
「まだお別れじゃないよ。 うちまで送る。 乗って」


 車の中では、ほぼ無言だった。 さっきより傾いた太陽が、ビルの脇からチラチラ覗くのが、隠れんぼのようで郷愁を誘った。
 座席に体を沈ませながら、未夏はさっきから考えていた。 少し前に聞いた言葉のうち、何かが記憶に引っかかっている。 ぼんやりとしたものが意識の下でうごめいているのだが、どうしてもはっきりした形を取ってこなかった。


 やがて、家に向かう小路が近付いてきた。 反対方向から父のトラックが来て、一足先に曲がるのが見えたため、未夏は慌てて坂口に頼んだ。
「ここでいいです。 停めて」
 言われたとおり、坂口はブレーキを踏んだ。 車はなめらかに停車した。
 バッグを抱え上げて、未夏は説明した。
「父さんがスーパーの宅配を始めたもんだから、軽トラで時々家に立ち寄るの。 男の人が来ると、あんまりいい顔しなくて」
 そう言ってから、未夏は自分の言葉に照れた。
「四捨五入したら三十の娘に、今更何言ってるのって話だけど」
「僕に娘がいたら、やっばり心配だろうな」
 坂口が思いがけないことを口にした。
「子供好きだし、幸せにならなきゃ落ち込むと思う」
「あなたなら幸せにできるよ。 いいお父さんになれそう」
 そう言い残して、未夏は車を降りた。 後ろで、低い呟きが聞こえた。
「結婚は……しない。 たぶん」


 驚いた未夏が振り返ったとき、車はもう動き出して、通りを北東へ去って行くところだった。








表紙目次文頭前頁次頁

背景:Fururuca/アイコン:叶屋
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送