表紙








とりのうた 62



 とりあえず、顔を洗って着替えをした。 港公園は広い。 歩くから、動きやすい服装を選んだ。
 窓へ手鏡を持っていって、自然光でメイクが浮いていないか確かめながら、未夏の考えはあちこちへ飛んだ。
――靴は茶色のバレーシューズがいいか。 達弥は今ごろ車で飛び回ってるかな。 あ、このカーテン汚れてきた。 洗わなきゃ――
 忙しく見回す目が、出窓の窓辺に落ちた。 そこには、ソフトピンクの薔薇が一輪挿しの花瓶の中で、満開になりかけていた。


 支度が終わり、落ち着きのない気持ちで階段を下りると、キッチンから出てきた母と鉢合わせになった。
「あれ? どっか行くの?」
 別に悪いことをしているわけではないが、未夏は妙に気が咎めて、小声になった。
「うん、友達から電話かかってきて」
「なーんだ。 二人で買い物に行こうって言ったじゃない」
「ごめん、今度ね」
 なんだ、なんだと言いながら、母は茶の間へ入っていった。 そのすぐ後にチャイムがなった。
 未夏は、急いで靴を履いて玄関を開けた。 そこには、ダークスーツをきちんと着た坂口が立っていた。

「あ、どうも」
 未夏は眩しそうに口ごもった。 実際に眩しかった。 玄関が南を向いていたからだ。
「こんにちは。 不意に誘ってびっくりしたでしょう? 強引だと思ったんだけど、君の声聞いたら、急に会いたくなっちゃって」
 坂口の声も低かった。 だが、言っていることは結構強烈だった。 声を聞いたら会いたくなったって……
 二人は、肩を並べて門を出た。 そして、道の脇に寄せて停めてある坂口の車に乗った。


 路地を出て広い道路に入ると、まず坂口のほうが当たりさわりのない世間話を始めた。
「六月って中途半端な季節だな。 蒸し暑いけど、泳げるほど暑くはないし」
「梅雨でじめじめしてるしね」
「そう」
 信号で止まった。 行き交う車は少なかった。
「ガソリン高くて、通行量が減ったなあ」
「父もよくこぼしてる。 前は三往復で運んだ物を二往復で行くようにして、荷物を山積みにするからトラックが痛むって」
「この町は電車が通ってないから、車は止められないしね」
 青になった信号を見て、坂口は慎重に発車させた。 そして、自然な動作で右へ曲がった。 車には立派なナビがついていたが、見ようともしなかった。









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