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とりのうた 56



 車は海の方角へ向かっていた。 迷ってはいけないと思い、広い道を選んで通ったため、直線距離なら三分とかからないところを五分ほどかかって、未夏は永井川地区に入った。
「二丁目っていうと……」
「ああ、次の角を左へ」
 言われた通りに曲がると、緩やかな坂だった。 高台の、静かな海を見下ろす場所に、坂口家の別荘はあった。

 リモコンで坂口がガレージの扉を開き、未夏が慎重に車を中に入れた。 ライトが自動的についたガレージ内へ、坂口は先に出て、未夏から車のキーを受け取った。
「ありがとう。 ちょっと寄ってく?」
「あ、いやー ……」
 ためらう未夏に、坂口はあっさり方針転換した。
「じゃ今度は、僕が送るね」
「え? 大丈夫。 一人で帰れるから」
「いや、この辺は人通りが少ないんだ。 一人歩きはしないほうがいい。 こっちも歩けないほど酔ってないし。 さあ、行こう」

 なんだか妙な気持ちで、未夏はガレージを出ると坂口と並んで歩きはじめた。
 別荘は低い塀で囲まれていて、その上にフェンスが張り巡らしてあった。 白いフェンスには、ところどころ蔓がからんでいる。 斑入りのアイビーと蔓薔薇のようだった。
 ぽつんと立った街灯の横で、坂口は足を止め、ポケットから小さな五徳ナイフを出した。 そして、ピンク色の蔓薔薇の花を一輪切り取って、未夏に渡した。
「ささやかだけど、今夜のお礼。 これは棘のほとんどない種類だから、持っても痛くないよ」
「ありがとう。 綺麗」
 それに、いい香りだった。 粋なことをする人だ。 おまけに、ちょっとキザなその動作が、よく似合った。
 緩い坂道を降りながら、坂口は海に視線を向けた。
「ここは静かすぎて、夜になると波の音が耳につくんだ。 海の底に引き込まれるような気がする」
「うちではそんなに聞こえないけど、風向きによってははっきり響いてくるときもあるな」
 何気なく答えた未夏に、坂口が尋ねた。
「海の思い出って訊かれたら、何?」









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