表紙








とりのうた 35



 市立図書館の閉館時間は午後七時だが、きっちりその時間に帰れるわけではない。
 後片付けや戸締まり、電気の点検などで、その夜に未夏が滝山と並んでエントランスを出たころは、もう八時近かった。
「お疲れ様」
「お疲れ様です。 これからオレンジホームへサム君のお迎えですか?」
「いや、今日はダンナがいるから、迎えに行ってくれたの」
 サムとは、おさむの略で、滝山の大事な一人息子の名前だった。
「そうですか。 じゃ、また明日」
「また明日ね」
 手を上げ合って、滝山は駐車場へ、未夏は駐輪場へ向かった。

 いい天気で、たくさんの星が出ていた。 すぐに愛車のところへ行かずに、未夏はしばらく空を眺めてから、端にあるベンチに座った。
 携帯を取り出した後も、ちょっと考えた。 なんと説明したらいいんだろう。 この惑いと、不思議な予感、目まいがするような気持ちを。
 ようやくボタンを押したとき、手が冷たかった。

 二つ呼び出しが鳴って、すぐ達弥が出た。
「未夏?」
 嬉しさに不安の混じった、微妙な声音だった。
 未夏は電話を握り直し、慎重に口を切った。
「そう。 待たせてごめん。 あの」
 そこで一旦息を吸って、できるだけ普通に言った。
「夏休みは取れないかもしれない。 仕事が重なっちゃって」
 嘘ではない。 九月には下半期の注文をしなくてはならないから、また本選びがある。 夏休み読書会や朗読会の企画も。 だが、本音を言えば、特に急ぐ仕事ではなかった。
 少し間があいて、達弥が思いがけないことを言った。
「他に、好きな奴、できた?」


 未夏は二の句が継げなくなった。
ほんのわずかな沈黙だったが、達弥の問いを認めたようなことになってしまった。
「いや、そうじゃなくて」
「でも誰か、気になってるんだろ?」
「あの、好きとかじゃなくてね。 会ったばっかりだし。 ただ」
 また息が切れた。
「……前にも会ったような気がして、落ち着かないの」









表紙目次文頭前頁次頁

背景:Fururuca/アイコン:叶屋
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送