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表紙

透明な絵 ≪104≫

 陶子は、胸が温かく満たされるのを感じた。
 母が亡くなってから、ずっと肩肘張って生きてきた。 心から大事に思ってくれる人は、もう存在しないのだと自分に言い聞かせてきた。 だから、周りに甘えてはいけないのだと。
 だが、今の陶子には絆ができつつあった。 会社に行くと、挨拶する社員の眼差しに、以前にはなかった親しみがある。 陶子と社内をつないでいるように見せて実は隔てていた佐々川という壁が消え、あるがままの陶子を皆が見てくれるようになった。
 社外でも、知り合いが増えていた。 重役たちが遠慮なく、取引先や取材の記者に陶子を会わせるようになったおかげで、ちょっとはにかみ屋だが仕事の話はちゃんとできる若社長として、真面目に評価されるようになってきた。
 そして誰よりも、牧田がいた。 陶子を一番大事だと言ってくれる人、陶子がいつも傍にいたいと思う人が。
 陶子は目を閉じ、肩に載った牧田の頭に頬を寄せた。
「お父さんは、きっと喜ぶと思うわ。 私は、牧田さんがカメラマンでも会社員でも、やりがいがあるならどんな仕事でも、応援します」
「ありがとう」
 どちらからともなく手が伸びて、自然に握り合った。 顔が近づき、互いの唇が触れようとした寸前、戸の外から声がかかった。
「失礼します〜、ご注文のお料理運んでまいりました〜」
 牧田が派手に首を下げてガックリしたので、陶子は笑いそうになりながら、明るく返事した。
「どうぞ。 よろしくお願いします〜」




 楽しく食事を済ませた後、牧田は炬燵〔こたつ〕から足を抜いてきちんと正座した。 そして、大きなバッグをごそごそやって、奥のほうから四角い包みを取り出した。
「なんていうか、イブのあたりにこうするのって、定番みたいで嫌なんだけど」
 照れた様子で切り出す前から、陶子には察しがついた。 心臓がいきなりバクバクになって、そんな自分に驚いた。 誘われたとき、少し期待をしていたにもかかわらず、実際に包装された小さな箱を見たとたん、これほど緊張と嬉しさに襲われるなんて。
「でもぐずぐずしてて君を誰かに取られちゃったら、一生後悔すると思うし」
 陶子も、急いできちんと座りなおした。 もう睫毛が濡れてきたので、必死に目をしばたたいた。
 ぼやけ始めた視野の中で、牧田が緊張のあまり強ばった顔を向けていた。
「陶子さん。 初めて日本に来て、最初に陶子さんを見たときのこと、はっきり記憶に残ってる。 よく、君は今何をしてるか、想像した。 あの頃から、きっと俺は、君に憧れてたんだと思う。
 でも、言おうか止めようか、ずっと迷ってた。 悩んでたんだ。
 俺は、君が一人ぼっちになって、困ってるときに出ていった。 いわばハンデつきな登場の仕方だ。 これから落ち着いて考えれば、俺なんてただの平凡な男だし」
 強く、陶子は首を振って否定した。 そんなことはない。 危機の時こそ人間の真価がわかる。 牧田は本当に、頼もしい人だった。
 むきになって話そうとする陶子を、牧田はそっと遮った。
「もうちょっと聞いてくれ。 さもないと言えなくなっちゃいそうだから。
 真面目で綺麗で、相手の気持ちをちゃんと考えてくれる、俺の大好きな陶子さん、これからの人生を、一緒に歩いてくれないか?」
 唇が震えそうになって、陶子は焦った。
「はい。 私……すごく嬉しい……」
 もう無理だ、しゃべれない!
 陶子はそのまま前倒しになり、牧田に体をぶつけるようにして、激しく抱きついた。







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