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表紙

透明な絵 ≪100≫

 ペルーから戻って以来、牧田はいつも忙しそうだった。 一日に一度は必ず電話をくれるが、時間が短く、ゆっくり話している暇がないのがありありだった。
 それを不満に思う陶子も、実は時間が足りなかった。 もう一社員のふりをして、社内研修に明け暮れているだけでは許されず、短いインタビューを受けたり、沢山の案件を決裁したりしなければならない。 最近は、夕方になると立ちくらみする有様だった。
 こうなると、もう電車で帰ることはできなくなった。 重役出勤はうんざりするが、運転手つきの高級車で出迎えられ、送り返される、という毎日が待っていた。


 家に帰っても、最近は落ち着けなかった。
 悲劇の現場となったキッチンは、取り壊して更地に戻し、庭の一部にした。 今は、二階に作ってあった予備のダイニングキッチンを使っている。 母の純子が、陶子が結婚後もこの家に住むことになれば、というので、二世帯用の造りにしたのだ。 その事実を思い出すと、胸が痛かった。
 

年末の催し物への招待が、てんこ盛りでポストに詰め込まれているのも、気に障った。 一部は会社にまで来ていた。
 共に過ごしたいのは、牧田さんだけなのに。
 招待状を見るたびに、陶子は気分が落ち込んだ。


 だから、十二月半ばに牧田から電話で誘われたときには、飛び上がるほど嬉しかった。
「二十三日は、陶子さんも休める?」
「ええ、ちゃんと休日取れるわ」
 わくわくしながら答えると、期待通りの答えが返ってきた。
「それなら、会えない? イヴには一日早いけどさ、もうずいぶん会えてないから、少しでも前のほうが」
「そうね、そのほうがいい」
 イヴという言葉が出ただけで、胸がキュンキュンする。 陶子の声は、誰が聞いてもわかるほど弾んだ。


 陶子が世間に顔を知られる存在になってしまったため、人目につく高級レストランやホテルなどには行けなかった。 年末は温泉も予約で一杯だ。 屋根があって暖かければ、どこでもOKだと、陶子が冗談交じりに言うと、少し考えてから、牧田が提案した。
「昔の写真学校仲間が、羽村〔はむら〕で食事処をやってるんだ。 センスのいいやつで、いい雰囲気なんだよ。 行ってみる?」
「素敵そうね」
 あなたと一緒なら、どこでも素敵。
 陶子は、心の中でそう言い添えた。







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