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表紙

透明な絵 ≪97≫

 牧田は一人部屋で、紫吹と毛利はちゃっかりカップル用の部屋を取っていた。
「固いことは言いたくないけどさ、兄貴の俺って者がいるんだから、正しい行ないを心がけてほしいよなー」
 飾りはないが小ざっぱりしたエレベーターに陶子を案内しながら、牧田は冗談交じりにぼやいた。 でも、当の本人も陶子をさっさと自分の部屋に入れた上、邪魔しないで、という札をドアノブにかけてから戸を閉め切った。


 二人きりになったとたん、牧田はバッグを肩から下げたままの陶子を思い切り抱きしめた。
 静かな室内で、彼の鼓動と息遣いだけが聞こえる。 その限りない安心感にもっとひたりたくて、陶子はぎゅっと目をつぶった。
 やがて胸から直〔じか〕に、少し太くなった声が聞こえた。
「お父さんの骨だと、すぐわかった。 結婚指輪が左手の傍で見つかって、俺たち見覚えがあったから」
 答えようとした陶子の口から、かすかな嗚咽が漏れた。 背中を抱く牧田の腕が、幼児をあやすように優しく動いた。
「泣きなよ。 紫吹はわんわん泣いたよ。 顔が腫れて風船みたいだった」
 そう言われると、かえって大声を出しづらくなった。 牧田のジャケットを皺になるほど掴んで、陶子は途切れ途切れに頼んだ。
「詳しく……話してくれる?」
「うん。 こっち座ろう」
 二人は窓際のカウチに腰をおろし、改めて抱き合った。




 骨の周囲には衣服の残骸が残っていて、行方不明になった日の服装と一致したという。 死因は、後頭部の陥没骨折だった。
「話しかけながら、お父さんが気を許して後ろを向いたときに殴ったんだろう。 たぶん即死でほとんど苦しまなかったんじゃないかと、警察は言っていた」
「父は、弟という人に初めて会うのを楽しみにしていたのに」
 悔しくて、陶子は歯を食いしばった。
「マヌエルのほうには、兄弟の情はなかったんだろうな。 ただ、正妻の子への妬みだけで」
 愛情はないが悪知恵はあった。 悠輔の持ち物から偶然見つけた牧田との写真を、これ以上探されないように妻の元へ送りつけたのだから。
「マヌエルの母親は、お父さんのお父さんが亡くなった後、コロンビア人と結婚して、子供が生まれた。 マヌエルはその男の養子にしてもらえず、不良になって家を飛び出したらしい」
 新しい家庭で邪魔にされたのだろうか。 陶子はほんのちょっとだけ、マヌエルが哀れに思えた。







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