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表紙

透明な絵 ≪92≫

 恵比須〔えびす〕のあけっぴろげな歓迎が、周りの遠慮を取り払ったらしい。 通りすがりの従業員たちが足を止め、陶子に歩み寄ってきて取り巻き始めた。
 あっという間に、陶子の周囲に人垣ができた。 ほとんどの人が笑顔を浮かべている。 傍観者になって遠くから眺めている者もいたが、ごく少数だった。
「佐々川常務が藤沢さんを棚上げにしようとしてたの、知ってました?」
 製品開発課の若手室長が、声を張り上げた。 陶子は彼に真剣な目を向けた。
「そうだったんですか、安土〔あづち〕さん?」
 ほとんど会話を交わしたことがないのに、陶子が名前を覚えていたのを知って、安土室長は目を輝かせた。
「ええ、あっちこっちのセクションに顔を出しては、上の人を取り込もうとしてましたよ」
「でも、社長……藤沢さんは各部門でしっかりと実務をこなしていらっしゃったでしょう? みんな実像を知ってるから、まとまらなかったんです」
 販売促進課の武部〔たけべ〕が口を添えた。
 陶子は背筋を伸ばした。 けむたがられているのではないかという不安を押して、ほとんどの現場で見習をやってよかったと実感した。 温かく迎えられたという喜びで自然に顔が和らぎ、魅力的な表情になった。
 優しい中にもきりっとした態度で、陶子は顔を上げ、集まった社員たちを等分に見回しながら、話し始めた。
「しばらく姿を隠していて、ご心配をおかけしました。 命を狙われていたので、動けなかったんです」
 低いどよめきが、人々の間を走った。 報道で知ってはいても、本人の口から出た言葉は衝撃的だった。
「佐々川常務が逮捕されたことは、社のイメージに悪影響を与えたと思います。 ですがご存知の通り、当社の製品はすべて一級品で、リピートも増えています。 当社をここまで成長させた皆様の努力に傷をつけないよう、微力ながらがんばります」
 つぎはぎの挨拶でも、何とか言い終えてよかった、と思いつつ、陶子は頭を下げた。
 そのとたん、一斉に拍手が起きた。 佐々川が消えたことで、会社にまとまりができたのではないかと、陶子はふと思った。


 すぐ開かれた臨時の重役会議でも、陶子の直感は証明された。 これまでの、薄い壁に隔てられたような雰囲気は消え、重役たちは遠慮なく意見を出し合った。 早く指揮系統を立て直さなければという危機感のなせる業とはいえ、これまでになく緊密で、分け隔てのない話し合いになった。
 陶子の意見も求められた。 今度の事件は、いわばお家騒動のようなものなので、迷惑をかけた立場の陶子は遠慮がちだったが、営業の笠井〔かさい〕専務はむしろイメージアップのチャンスと捕らえていた。
「危機一髪だったわけですねえ。 ヤングな美人社長ですから、それだけ世間の注目を浴びやすいです。 マドンナ社長として、表面に出ていただけると助かります。 いや、興味本位のインタビューなんかは断りますが。
 ただ、うちは化粧品会社ですからねえ、本物の美人社長は社の宝なんですよ」







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