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表紙

透明な絵 ≪87≫

 陶子はスツールの座面に手をかけて、なんとか立ち上がろうとしていた。 開いたままの洗面所の入り口からその様子を目に入れた牧田は、数歩であっという間に駆けつけると、陶子の脇に手を入れて、軽々と立たせた。
「大丈夫? 顔色が……」
 悪い、と言いかけたのだろうが、言葉が途切れた。 そして、大き目の親しみある口元が、驚きに開いた。
「綺麗だ。。。」
 声に出してしまってから、脈絡のなさに気づいたらしい。 牧田の頬に赤みが差した。
「あの、肌がつやつやなんだね。 モデルの子なんか、うらやましがるだろうな。 どこまで接写しても平気そうだ」
「そんなこと」
 小声で打ち消しながら、陶子は自力で体をまっすぐ保とうとした。
「格好悪いわね。 紫吹さんはあんなにしっかりしてたのに、私は今ごろになってフラフラになってて」
「紫吹は野性的にたくましいんだ」
 牧田は含み笑いした。
「その分、ちょっと鈍感なところがあるけどね。 親がいないから、あのぐらい強いほうがいいんだろう」
「鈍感じゃないわ。 とても思いやりがあった」
「君にはね。 好きな人間には尽くす性質だ。 うちにはそういう血が……」
 また言葉が途切れた。 陶子は彼の胸に手を置いて、しみじみと言った。
「あなた達は命の恩人。 お二人には、いくら感謝しても足りないわ。 父も、ありがたいと思っているでしょう。 あの世が本当にあるなら」
 話しながら、喉がふさがりかけた。 牧田の息が乱れ、荒さを増した。
「すぐペルーへ行って、捜査を依頼するつもりだ。 インターポールの二人組がもう報告してるだろうが、警察は今起きてる事件のほうを優先するから」
「私も行くわ。 父を……見つけないと」
「僕がやるよ。 君には、若くて優しかったお父さんだけを覚えていてほしい。 お父さんもきっと、そう願ってるよ」
「死にたくなかったでしょうね。 仲のいい母と、面倒を見ている三人の子供を残していくなんて、耐えられなかったはずよね……」
 遂に声が嗚咽に途切れた。 三人の子供、というところで、牧田は体を緊張させた。 それから陶子の後頭部に手を置いて、そっと胸に引き寄せた。
「僕達も仲間に入れてくれて、ありがとう」
「仲間だもの」
 小さくしゃくりあげながら、陶子は囁いた。
「父はきっと、あなたと紫吹さんがよければ、二人を養子にしたかったんだと思う。 日本に戻ってから母と話し合うつもりだったんでしょう。 でも、時間がなかった。 マヌエルに会ったせいで、チャンスを潰されてしまった」
「そうだろうか」
 ぼんやりと呟く牧田の腕を取って、陶子は軽く揺すった。
「ええ、そうよ。 父はあなたが大好きだった。 あの写真を見れば誰でもわかるわ」
「君にそう言われると……」
 牧田の声にも切なげな濁りが入った。
「君はお父さんにそっくりなんだ。 知ってた? 誰かに言われたこと、ない? 顔も似てるし、何より性格が、ほんとに似てて」
 そのまま、牧田は陶子を胸に抱きこんで、固く目をつぶった。







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