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表紙

透明な絵 ≪86≫

 やがてゴツゴツした外見のマンションが見えてくると、陶子は自宅に帰ったような懐かしさを覚えた。
 横の駐車場に行った二人は、既に牧田の車が証拠調べを終えて戻されているのを発見した。 牧田はホッとした表情で、屋根の丸みを軽く叩いた。
「よかった。 こいつがないと仕事が大変になるから」


 車のキーは、チャック付のポリ袋に入れて、一階の郵便箱に押し込んであった。 中の紙に、留守だったのでここに置いておくという臼井からの伝言が書かれていた。
「ついでにこのマンションを見とくか、事情聴取の続きをしようとか思って、車転がしてきたんじゃないかな」
 キーをバッグに収納しながら、牧田が意見を述べた。 臼井は純粋な好意で持ってきてくれたのかもしれないが、よくわからないので、陶子はあいまいに頷いただけで、黙っていた。


 おなじみの客間に入り、バスを使ってから髪をブローしていると、次第に虚脱感が陶子の心を覆いはじめた。
 父は、亡くなっていた。
 この十五年あまり、もしかしたらもう生きていないのだろうかと思ったことは何度もあったが、いつも打ち消していた。 父は蒸発しただけだ。 いつか必ず戻ってくる。 そう信じて、待ち続けていた。
 その夢が完全に打ち砕かれた辛さは、半端ではなかった。


 半時間以上経っても、陶子は洗面台のスツールから立てなかった。 髪はとっくに乾いていたが、まだすっぴんのままだ。 メイク道具を出す気力さえ失せていた。
 やがて、足音が階下から上がってきて、ドアが軽くノックされた。
「自己流ホットサンド作ったけど、食べる? パンにレタスとソーセージ挟んで、プレスして焼いただけなんだけど」
「ああ……ありがとう」
 搾り出した声が、ひどくかすれていた。 まだガウンを着ているだけの自分を思い出して、陶子はよろめくように立ち上がったが、すぐ平衡を失って、どさっと床に尻餅をついてしまった。
 外から、慌てた呼びかけが聞こえた。
「どうした!」
「だいじょうぶ。 ちょっと転んだだけ」
「転んだ?」
 もっと焦った声がして、部屋のドアが開き、牧田が飛び込んできた。








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