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≪82≫
「この子は、趣味が奇術なんだ」
頑丈に縛りあげた佐々川を床に横たえ、乱闘の弾みでテーブルから落ちた携帯を拾い集めながら、牧田が説明した。
「凝り性だから中学のときからコツコツ練習してて、今じゃセミプロ級。 縄抜けのやり方も知ってるんだよ。 天藤っていうのは、マジシャンするときの名前」
ああ、それで不意をついて蹴りを入れることができたのか。 陶子は納得した。
人なつっこい猫のように陶子の肩に頬を載せて、紫吹が後を続けた。
「縄抜けってより、ほどけるように縛らせるの。 手をこういうふうに組み合わせてね。
だから、手首のほうはとっくに自由になってた。 足は、コイツが兄ちゃんと陶子さんを玄関へ迎えに行ってる間に、急いでほどいたの。
天藤って芸名は、天使のような藤沢のお父さんから採ったんだけど、お父さん、本当に天使になっちゃってて……」
語尾がかすかに震えて、消えた。 次いで、小さく鼻をすする音が聞こえた。
陶子は腕を広げ、再び紫吹を抱き寄せた。 二人がひっそりと悲しみにひたっている横で、牧田は自分の携帯を見つけて拾い上げ、警察に連絡した。
電話して二分も経たないうちに、階段を複数の足音が駆け上がってくる音がして、チャイムが鳴った。
兄妹と陶子は、びっくりして顔を見合わせた。
「警察?」
紫吹が息を潜めて尋ねた。 牧田は首をかしげた。
「早すぎるよな。 ともかく、出てみる」
「ピストル持ってったほうがいいよ」
紫吹の忠告に頷き、牧田は用心深い態度で、廊下に出ていった。
やがて、低い話し声が短く続き、すぐに訪問者たちがリビングに姿を現した。 やはり警察官たちだった。
顔見知りの臼井が、若い小沼刑事を従えて、真っ先に入ってきた。 そして、床に転がっている佐々川を眺めて、一言述べた。
「ざまぁないな」
誘拐・監禁・脅迫の現行犯で、佐々川は改めて手錠をかけられ、連行されていった。
慌しく警官や鑑識班の出入りする中、陶子と牧田兄妹はリビングの片隅で事情聴取を受けた。
「ねえ、どうしてこんなに早く着いたんです?」
牧田が真っ先に言い出した。 それは三人とも、一番不思議なことだった。
苦笑に近い表情を浮かべて、臼井は答えた。
「近くにいたんですよ」
「近くって?」
「つまり、張り込んでたってこと」
たちまち紫吹の眼がまん丸になった。
「えー〜〜? ここ見張ってたんですかぁ?」
「そうです」
「じゃ、なんで助けに来てくれなかったの〜?」
「中の状況を正確に把握できなかったから」
「つまり、何が起きてるのかよくわからなかったから、遠巻きにしてたと」
牧田が苦りきって呟いた。
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