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表紙

透明な絵 ≪80≫


 そこで、佐々川の顔に苦い暗さがにじんだ。
「だが純子さんは、再婚なんか考えてないとはっきり言った。 わたしを片腕にしてくれたから、まだ我慢できたんだが」
 強い緊張に耐えながら、陶子は過去を思い返した。 そう言えば、佐々川の結婚は遅かった。 ほんの五、六年前で、相手は取引先の資産家のお嬢さんだった。 まだ子供はいない。
 そのとき、強い視線を感じて、陶子は顔を上げた。
 睨んでいたのは、佐々川だった。 ここ半年ずっと彼に感じていた違和感の正体が、はっきりわかった。 佐々川は、陶子を憎んでいたのだ。
「純子さんが急死するなんて、誰が想像した! その上、あんたが後釜にしゃしゃり出てくるなんて……!
 陶子ちゃん、あんたはな、菅原元会長に、あの食えないジイさんによく似てるよ。 まだクチバシの黄色いひよっ子のくせに、仕事のできる人間、自分の味方になる人間を見極める力がハンパじゃない。
 今度だってそうだ。 黙ってりゃ、当然わたしに電話してくると思うじゃないか。 だのに、とことん焦らしたあげく、小野にかけたろう? 小憎らしいよ、まったく」
 勇気をふり絞って、陶子はまっすぐ佐々川のそそけた顔を見返した。
「だからマヌエル秦と手を結んで、うちを乗っ取ろうとしたんですか?」
「そうだよ」
 むしろ自慢そうに、佐々川は答えた。
「でも、どこであの人と知り合ったんです?」
「純子さんに頼まれて悠輔さんを探しているとき、彼に農場を売ったという現地人の情報を聞いてね」
 陶子は息を引き、椅子から腰を浮かせた。
「じゃ、そのときから父が殺されたと……」
「はっきり知ってたわけじゃないよ」
 佐々川は小さく咳払いした。
「ただ、その『藤沢悠輔』なる人物を遠くから見て、本物じゃないのに気づいただけで」
「そのまま放っておいたのね!」
「どっちみち、もう手遅れだったし」
「なんてことを!」
 激昂する陶子の手を、そっと牧田が引き戻した。 そして、単調なぐらい穏やかな声で指摘した。
「で、陶子さんのお母さんが亡くなった後に、連絡したんだ。 もう正体を見破る人はいなくなったから、日本に来て、藤沢のお父さんになりすませって」
 佐々川の広い顔に、満足げな微笑が浮かんだ。
「その通り。 あいつはとっくに悠輔さんの預金を使い果たして、借金まみれだったんで、喜んで飛びついたよ」
 陶子はもう聞くに堪えなくなって、顔をそむけた。 マヌエル秦は、佐々川の口から藤沢家の内情を聞いて、父になりすまし、しばらくその役を演じて周囲に信用されるようになってから、陶子を始末するつもりだったのだ。
 牧田は、なだめるような調子で質問を続けた。
「計画はうまく行かなかった?」
 佐々川の顔が、また曇った。 鼻から強く息を吐き出すと、彼は陶子をジロリと一瞥した。
「この小娘の勘がな……本能が鋭いんだろうな。 マヌエルが偽者だと、気づいてしまった」
「それで、あんたに電話したんだ?」
「泡くってかけてきたよ。 寝室にカギがかかってて入れない。 こじあける道具を探しに行ってる間に、まんまと逃げられたってな。 あのパカが!」







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