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表紙

透明な絵 ≪78≫


 牧田の口が、声を発しないでゆっくりと動いた。
『お父さんのこと?』
 電話を掴んだまま、陶子はがくがくと首を上下させた。
 牧田は頬を引きつらせ、陶子にぴたりと体をつけて、受話器から洩れてくる話を聞き取ろうとした。


 嘲笑うような佐々川の声は、まだ続いた。
「わかってるね。 この小娘がわたしの手元にある限り、君たちは身動きが取れない」
「紫吹さんに何もしないで!」
 陶子は必死で頼んだ。 恐怖で、喉が詰まりかけていた。
「していないし、する気もないと言っただろう。 わたしの望みは、君との話し合いだ」
「どこで!」
「そうだな。わたしはここを動きたくない。 うろうろすると目をつけられやすいからな。 君たちのほうが出向いてくれ」
「ここって?」
 低く陰険な笑いが聞こえた。
「調布さ。 紫吹嬢のアパートだ」
 間を置かずに、佐々川は警告した。
「この子の兄貴もいるんだろう? 一緒に連れてきなさい。 ただし、警察に知らせたら終わりだよ。 わかってるね? 一人殺すも二人殺すも変わりはないんだから」


 警告を最期に、電話は切れた。
 陶子は、すぐ近くにある牧田の顔を、涙ぐんだ目で見つめた。
「私のせいで、こんな……」
「君のせいじゃない!」
 牧田は、陶子の肩を引き寄せて、一瞬ぎゅっと抱きしめてから、跳ねるように立ち上がった。
「行こう。 車が使えないから、タクシー拾おう」
「佐々川の叔父さんだって、わかってるはずよ。 こんなことをして、逃げ切れるとは思えない」
「だからこそ、取引しようとするんだ。 死に物狂いで、最期の逆転に賭けてるんだろう。 奴は今、とても危険だ」
「ええ」
 そのまま寝込んでしまったせいで少し皺の寄った服をコートで隠し、陶子は慌しくバッグを掴んで、牧田と共に家を出た。




 車内では、運転手の耳があるから、ほとんど相談できなかった。
 薄暗い車内でじりじりしながら、窓の外を飛び去る町並みに目をやっていると、牧田の手が伸びてきて、膝に置いた陶子の手に重なった。
「紫吹はきっと大丈夫だよ」
「でも……」
 歯がガチガチ鳴りそうで、陶子は多くをしゃべれなかった。 牧田の指が、安心させるように握りしめてきた。
「あいつには特技があるんだ。 うまくやれてるといいんだが」







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