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表紙

透明な絵 ≪77≫


 え……?


 二秒ほど、陶子は事情が飲み込めなかった。
 それから、心臓が止まりかけた。
 佐々川が紫吹の携帯を持っている。 我が物顔に、その電話を使ってかけてきている!
 冷や汗というものが本当に出てくるんだと、陶子はそのとき、初めて知った。
 あっという間に手が濡れて、電話が落ちそうになる。 持ち替えて服の袖で拭っても、また手のひらが湿ってきた。


 嘲笑うような男の声が、ゆっくりと続いた。
「びっくりしたか? 女の子を一人置いていくなんて、危ない危ない」
 陶子の膝が震え出した。 その振動で眠りから覚めたのか、牧田が体を動かして、薄く目を開いた。
 とっさに、陶子は彼の唇に指を一本置いて、無言でいてくれと合図した。
「し……紫吹さんに、何か?」
「何もしてないよ」
 佐々川は気分を損ねたらしい。 声が荒くなった。
「わたしはマヌエルのような変態じゃないんだ。 ただ、逃げられないようにしてあるだけでね」
 マヌエル……その名前が耳に入ったとたん、陶子の口から、ずっと爆発しそうだった質問が飛び出した。
「あの人は何者? お父様の兄弟なの?」
 少し驚いた様子で、佐々川の調子が変わった。
「よく気づいたな。 そうだよ。 悠輔さんの父親の隠し子だ。 悠輔さんは、マヌエルの存在だけは知っていたが、会ったことはなかった。 ペルーに来たと聞いてマヌエルが尋ねて行ったら、とても喜んでいたらしい」
 陶子の喉が、かすかに音を立てた。 肘をついて上半身を支えた形で、牧田が鋭い視線になって、彼女と電話を交互に見やった。
「その直後に、お父様は姿を消したわ」
「そうだ。 マヌエルが殺したんだ」


 覚悟はしていた。
 だが、現実に聞くと、頭を殴られたような衝撃に、全身がしびれた。
 陶子の悲痛なあえぎを聞いて、佐々川はサディスティックな気分になったらしい。 ぺらぺらと顛末を語った。
「対面してみて、よく似ているのに気づいたそうだ。 これなら入れ替わってもごまかせる。 そう思って、郊外に連れていき、銃で撃った」
 陶子は反射的に目を閉じた。
「じゃ……お父様は、今でもそこに……?」
「いや」
 無情な声は続いた。
「つぶれたレストランの冷凍庫を安く買って、入れておいたんだと。 その間に悠輔さんの名義で農場を買い、遺体を埋めて、上に家を建てたと言っていた」
「そんな……」
 怒りがじりじりと喉を焼いた。
「自分が死なせた人の上で、ずっと暮らしていたの?!」
「それが一番安全だからな。 建物を壊さない限り、遺体は発見されない」
 死なせた、という陶子の言葉を聞くと、牧田は勢いをつけて起き上がった。 暗い室内で、白目が光った。







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