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表紙

透明な絵 ≪74≫


 陶子の頭が、真っ白になりかけた。
 牧田に触れて安心したかったが、彼が必死に処理しようと奮闘しているのがわかっていたので、自分の手を握りしめて堪えた。
「くそっ」
 かすれ声で罵りながら、牧田はサイドブレーキに触れ、強く引いた。 すぐに車はスピードを緩めて、静かに止まった。


 二人とも、しばらく口が利けなかった。
 悪意が車内に充満しているように感じられる。 さっき乗ってきたときには、ブレーキに何の異状もなかったから、偶然の事故とは考えられないのだった。
 ぎゅっと目をつぶって、額を拳で叩いた後、牧田は低い声を出した。
「JAFに連絡するか? それとも直に警察を呼ぶか?」
 陶子は、白くなるほど握ったままの両手を見下ろした。
「警察のほうがいいと思う。 ブレーキに何か細工したのなら、証拠が残ってるかも」
「そうだな」
 牧田はコートのポケットから携帯を取り出した。
 肘が軽く陶子の腕をこすった。 とたんに全身の力が抜けて、陶子は牧田にぐったりと寄りかかった。
「怖かった〜」
「俺も」
 電話を握ったまま、牧田は陶子を引き寄せ、頭のてっぺんに顔を埋めた。 軽快なエンジン音を立てて、数台の車が横をすり抜けていく。 さっき発進させたとき、ほとんど交通量がなかったのが、不幸中の幸いだった。
 陶子の背中に左腕を巻き、右手で髪を撫でながら、牧田は囁いた。
「一瞬、もう駄目かと思った。 でも、君を死なせたくなかった」
「こんなことされたのは私のせいだわ」
 改めて、陶子は泣きそうになった。
「あなたまで巻き込むところだった」
「ちがうよ。 あいつは二人とも始末したかったんだ。 それだけ焦ってる証拠だ」
「細工したのがあの人だとすると、会社なんかにいなかったのね。 この近くにいたってことね」
「ああ。 僕たちを尾けてたんだ、きっと」


 陶子は唾を飲み込んだ。 佐々川は、今この瞬間にも傍にいるかもしれない。 どこかで二人の様子を見張り、事故に遭わなかったのでがっかりしているのかも。
「前から、佐々川の叔父さんには親しみが持てなかった」
 陶子は小声で打ち明けた。
「親切にしてくれるけど、どこか近寄りにくかったの。 あまり好きじゃなかった」
「だから事件が起きたとき、頼らなかったんだ?」
「そうね。 相談する気になれなくて」
「きっと、勘が鋭いんだよ」
 牧田の声は優しかった。








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