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表紙

透明な絵 ≪63≫


 この人は、お父さんの息子じゃない……!


 陶子の内部に、渦巻くような感情が生まれた。
 その気持ちの正体を知るのが怖くて、陶子はとっさに封印した。 そして、できるだけ体を動かさないようにしながら、小さく尋ねた。
「父とは、どこで知り合ったの?」
 牧田の手が、陶子の後頭部をゆっくり撫でた。
「道だ。 車から降りてきた藤沢さんの頭に、建物の上から洗濯物を落として、払いのけている間に、街の不良がバッグを引ったくったんだ。
 ファスナーつきのビジネスバッグだったから、そいつは横の細い道に入って、財布だけ取った後は放り出して逃げた。 書類が沢山はみ出していたから、大事なものだろうと思って、拾って持っていったんだ。
 そしたら、ポリ……警官が僕を捕まえた。 説明なんか聞きやしない。 引っぱっていかれそうになったとき、藤沢さんが、その子じゃない、と言ってくれたんだ」
 とたんに、声が懐かしそうにうるんだ。
「一緒にいたボリビア人の男は、あんな貧乏な子にかまうんじゃないと忠告した。 後で面倒なことになるに決まってると。 でも藤沢さんは、僕を連絡事務所の雑用に雇ってくれた」
「ご両親は、何て?」
 陶子がそっと訊くと、牧田の腕に小波のような痙攣が走った。
「そのときは、もういなかった。 親父は日系人で、トラックで魚を運んでて、事故死した。 お母さんは日本人で、その後いろんな仕事をしてぼく達を育ててくれたが、たぶん過労で、肺炎になって死んだ」
 陶子は暗然となった。 子供にとって、親がいなくなるほど恐ろしいことはない。 陶子もまた、七歳で不意に父を失った。 そして、成人していたとはいえ、母もまた病死した……。
「父があなたを日本に送ったのね?」
「そう。 僕も妹も日本語が話せたから。 生活費と学費を信託にしてくれて、弁護士の岡谷さんが面倒を見てくれた。
 大切な、本当に大切な人だった。 いつも会いたかったけど、向こうから何も言ってこないし、こっちから連絡したら迷惑かと思って、ずっと我慢した。
 高校卒業のとき、初めて岡谷さんに頼んだんだ。 式に出てくれたらすごく嬉しいんだけど、と遠慮しながら言ったら、ようやく教えてくれた。 ずっと行方がわからないと」










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