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表紙

透明な絵 ≪62≫


 腕を握っている牧田の手から、体温がじんわりと伝わった。 同時に陶子の心にも、彼のぬくもりがしみこんできた。
 牧田兄妹は、日本とペルーを往復し、公的機関に連絡を取って、藤沢悠輔になりすました男を告発しようとした。 その上、真剣に陶子を守ろうとしてくれたのだ。
 陶子は、寂しさの入り混じった感謝の気持ちで、目の前の大きな青年を見上げた。
「ありがとう、牧田さん。 妹さんにもお礼を言わなくちゃ」
 それから苦い笑いを浮かべて、陶子は付け加えた。
「私のためじゃなく、全部父のためにやってくれたんでしょうけど」


 突然、牧田の表情が歪んだ。
 手に力が入ったと思うと、彼は陶子を引き寄せるなり、思い切り抱きしめた。
 二重の意味で、陶子は胸から息がすべて絞り出されたような気がした。
「そんなこと言うなよ。 確かに恩返しはしたかったけど、君が嫌いだったら、ここまでできなかった」
 低い声が、しわがれて聞き取りにくくなった。
「日本に初めて来たとき、岡谷〔おかや〕さんに頼んで、君の家を見に行ったんだ。 今と違って、塀が低くて生垣だっただろう? 中で遊んでる君が見えた。 縄跳びしてた」


 陶子は、じっと動かずに、目を閉じた。 この抱き方は、髪に顔を埋め、言葉の合間に幾度も頭に唇をつける動作は、兄のものとは到底思えなかった。
 胸が火照ってくるのを考えないようにして、陶子は目をつぶったまま、快い感触にひたっていた。


「君は僕を知らない。 でもいつか、友達になれるかなと思った。 妹みたいに可愛かった。
 いや、違う。 あこがれてたんだ」
 牧田の腕が陶子を抱え直し、更に胸深く抱きこんだ。
「君のお父さんのおかげで、僕と妹はストリートチルドレンにならずにすんだ。 安全な日本で、ちゃんとした教育を受けて、大人になれた。 いくら感謝しても足りないと思ってる。
 だから、僕にできるのは君を守ることだけ。 君にふさわしい男が現れるまで」












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