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表紙

透明な絵 ≪58≫


「そのこと、一緒に警察へ行って話してもらえる?」
 陶子の問いに、紫吹は落ち着きを無くした。
「え? 信じてくれるかなぁ、私の言うことなんか」
「なんか具合悪い?」
 すかさず陶子が訊くと、紫吹は混乱した様子で、ちらりと戸口のほうを見た。
「えーと、私だけじゃ決められない」
 それから、改めてしゃんと肩を張って、陶子を見返した。
「相談しないと」


 紫吹が誰と話し合いたいか、二人ともわかっていた。 ただ、どちらも言い出しにくく、相手の出方待ちの状態なのだ。
 陶子は少し考えて、紫吹の腕に軽く手を置いた。
「電話をかけるなら、私は外で待ってる。 迎えの車まで、ゆっくり歩いていくから。 表の大通りに停まってるの」
「うん、わかった」
 急いで、紫吹は三日月形をした青いバッグを引き寄せ、口金を開けた。 陶子は自分のバッグを肩に掛けると、静かに外へ出た。


 アルミ製の階段を下りるとき、足元がふらつく感じがして、陶子は何度も手摺りを固く握りしめた。
 驚いた。 事件が起きてからずっと、闇夜を手探りで這い回っているような日々が続いていた。 それが、この半時間ほどで、一度にいろんな事実が襲いかかってきて、整理できないほどになった。
 狭い敷地を横切って、門を出ると、陶子は灰色の塀に沿って歩き始めた。
――落ち着け、私! 頭を冷やせ!
 じっくりと順を追って考えてみよう。
 まず、牧田兄妹からだ。 二人は、ずっとお父さんを探していた。 私たちと同じに――
 いや、本当に同じだったのか。
 母は、ある時点から、不意に父のことを話さなくなった。 そして、家中から父の持ち物が消えた。 ニ冊あったはずの家族アルバムさえ。
 陶子に残された父の写真は、小学校の入学記念に親子三人で写したものだけだった。
 あのとき、母は父を自分から切り捨てたのだ。 おそらく、探すのも止めたのだろう。
 切った理由は、愛人の存在だろうか。 牧田や紫吹という子供がいたことが、衝撃だったのか……?


 でも、父が家族を捨てて、牧田の母親に走ったのなら、なぜその子供たちが彼を探すのだ。
 父には放浪癖があって、二つの家族を次々と置き去りにしたのか?


 ここまで考えただけで、頭の芯がじんじんと痛くなってきた。 十数年経った今でも、父の膝で遊んだ思い出や、大きな背中の温かさは、しっかりと記憶に残っている。 父は優しかった。 家族を二つも不幸にするような、そんな薄情者ではなかった。


「あーっ、もう!」
 やりきれなくて、思わず声が漏れた。
 むしゃくしゃしながら、陶子が大通りに出る角を曲がろうとしたとき、歩道に寄せて止めた牧田の車が開いているのが見えた。
 牧田は、ドアに寄りかかっていた。 そんな彼を挟んで、二人の男が立ち、盛んに話しかけていた。
 一人はアジア人。 多分日本人だろう。 もう一人は、明らかに外国人だった。








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