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≪51≫
「キッチンは?」
陶子がおそるおそる訊くと、牧田は顔をしかめて目をしばたたいた。
「足の踏み場もない。 大きな鍋まで落ちてて、あれじゃ凄い音がしただろうな。 普通サイズの家だったら、近所がみんな飛び起きてただろう」
「きっと犯人と被害者は、殺すか殺されるかだったのね」
死に物狂いで逃げる偽の『父』を追って、顔のわからない犯人が包丁を振りかざし、キッチンを暴れ回る様子を想像して、陶子は頭がくらくらした。
「包丁は、普段どこに置いてある?」
「流し台の下よ。 扉の後ろにハンガーが取り付けてあるの」
システムキッチンは、普通そういう設計になっている。 牧田は二度うなずき、いっそう難しい顔になった。
「すぐ見えるところに置いてあったんじゃないんだ。 わざわざ扉を開けて中から抜いた。 口論でカッとなったというより、冷酷な意志を感じるな」
「父の偽者に恨みがあったとか?」
「そうかもしれない」
「でも、自分を恨んでる人間を夜中に家へ引き入れるかしら?」
牧田は視線をあげた。 大きく深い瞳の奥に、感心したような、そしてどこか面白がっているような表情が浮かんだ。
「鋭い。 君ってある意味いつも冷静なんだね」
混乱して、陶子は顔をそむけた。 そういえば、学生時代にときどき、冷めてる人だ、と言われたことがあったのを思い出した。
リビングはきれいなままだったと、牧田は付け加えた。 他の部屋にも異状はないようだ。 偽の父は、夜中の訪問者を直接キッチンに入れたらしかった。
いいと言うのに、牧田は陶子のバッグを車まで運び、後部座席に置いた。
発車した後、しばらく二人は話さなかった。 陶子はもともと会話を発信する性質ではないし、珍しく牧田も前を見据えて運転するだけで、何も言わなかった。
しんと静まった車内で、陶子は何かできることを考えた。 そして、玄関に積んであった郵便物を思い出し、手元のバッグを開いた。
最近めっきり少なくなったダイレクトメールが二通、大学からの同窓会の通知、宣伝ビラが三枚。 カード会社からのお知らせ。
一番下に、窓付きの洋封筒があった。 宛名は活字で、おそらくパソコン打ち。 切手を張っていない。 差出人の住所氏名もなかった。
それなのに、赤いスタンプで、『重要』と押してあった。
これもダイレクトメールだろうか。 一見して違和感があった。 陶子は封筒を開き、中を覗いてみた。
宛名だけ印刷した白い紙の間に、何かが挟まっていた。 指を差し込んで引き出すと、写真のカラーコピーだった。
男性と少年が、一人ずつ写っていた。 男性のほうが父の悠輔らしいと気付いて、陶子の心臓が大きく鼓動した。
二人は笑顔で、寄り添って立っていた。 光線の強い場所で、バックの大部分を真っ青な空が占めている。
被写体は、どちらもすりきれたジーンズをまとっていた。 その膝あたりに、右上がりの角張った文字が一行書かれていた。
『ぼくたちの大切なお父さん』
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