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表紙

透明な絵 ≪40≫

 牧田は、車をすぐには発進させなかった。
 ドアを閉めると、何秒か無言で動かずにいて、それから左手を伸ばし、膝に置いた陶子の手に重ねて、握りしめた。


 手袋の上からでも、彼の指は温かかった。 呼応するかのように、陶子の冷えた指先も熱を持ち、血の巡りがよくなりすぎてジンジンと脈打った。
 手を掴んだまま、牧田は低く言った。
「ニュースによると、犯行があったのは月曜の深夜か明け方だそうだ。 知ってた?」
 陶子は、強く頭を左右に振った。
「じゃ、私が逃げ出したときか、その後だわ」
 真夜中にドアノブがそっと回り、怖くて逃げずにいられなかったことを、陶子は短く牧田に話した。
「信じてもらえないかもしれないけど、あの人は父じゃなかった。 あなたと初めて逢った日、あの人とも十五年ぶりに会ったの。 ずっと行方不明で、死んだんじゃないかと思っていたから、お父さんだよ、と電話が来たときには、心臓がバクバクになったわ」
「十五年ぶりか」
 長い年月の重みを噛みしめるように、牧田は呟いた。
「それで、空港近くのホテルに会いに行ったんだね」
「そう。 顔は昔の父とそっくりだったし、パスポートは正式なものだった。 ちらっと見せてくれただけだけど、確かに本物だと思う」
「まだ被害者は身元不明のままだよ」
 牧田が、意外なことを言った。
「パスポートなんて現場になかったらしい。 きっと犯人が持ってったんだな」


 陶子は息を詰めた。
 気が付くと、両手に牧田の手を挟んで、祈るように胸に押し当てていた。
「それじゃ、犯人はあの人をキッチンで追いまわして殺したあげく、荷物とか全部持ち去ったわけ?」
「そうかもしれない。 警察は全部発表するわけじゃないから、細かいことはわからないけど」
「他にも家の中の物が盗られてるかしら」
 犯人は居直り強盗という可能性が出てきた。 陶子が警備を解除した寝室の窓から忍び込んで、家を物色しているときに被害者とばったり出くわして……
 いや、それはおかしい。
 そうだとすると、廊下から陶子の寝室に入ろうとしたのは誰なのか? やはり父の偽者で、殺人犯はその後にたまたま忍び込んだのか?
 そんな都合のいい偶然はないだろう、と、陶子は気付いた。 ともかく、誰が裏口の鍵を開けたのかが焦点だ。 もし、父の偽者が開いたのだとすれば……
「気を楽にして」
 牧田が体を寄せ、右手で陶子の肩を優しく叩いた。
「緊張しまくりだったんだろう? グダーッとなっちゃえば? 今まで警察を待たせたんだから、後少しぐらい、どうってことない」


 とたんに、体の芯が抜けたようになった。
 陶子は斜めに崩れ、牧田の胸に顔を埋めて、目を閉じた。









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