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≪32≫
紫吹が長いコートをなびかせて出かけていくのを、陶子は仕方なく見送った。
昼までには帰ってくると、紫吹は請け合った。 どうしてこんなに親切にしてくれるの? と陶子が訊くと、キリスト教の友愛精神だと答えが返ってきた。
クリスチャンというのは本当だろう。 この寒空の下、寄付集めに精を出していたのだから。 部屋には読みこまれて表紙の端が折れた小型聖書があったし、壁際の棚にも宗教関係の本が十冊以上並んでいた。
その横に、派手な表紙のコミックも積み重ねられていたが。
紫吹がいなくなると、急に時間の流れが遅くなった。
思い出して、隣室に取ってかえし、隅から隅まで徹底的に探した。 しかし、携帯電話はどこにもない。 陶子の胸に新たな不安がきざした。
ベッドに腰をおろすと、眉をぎゅっと寄せて、陶子は認めたくない事実を自分に納得させようとした。
電話は、盗られたんだ。 そして、盗れる人間は一人しかいない。
急に、部屋の静けさが怖くなった。
陶子はリビングに戻って、コーナーに置かれている小型テレビのスイッチを入れた。 なんでもいいから、人の声を聞きたかった。
画面では、クイズの再放送をしていた。 にぎやかな音に包まれながら、陶子はバッグを調べた。 ほぼ終日眠りこけていたのだから、紫吹が中を探るチャンスはいくらでもあったはずだ。
五分後、忙しく動いていた手が止まった。 何ひとつ無くなってない。 探した形跡さえなかった。 バッグはまるまる元のままだった。
陶子は、いったん立ち上がったが、またドサッとカウチに座りこんだ。
どういうこと?
まだ気持ちはもやもやしていた。 でも、ほっとする嬉しさがこみあげてきた。
紫吹ちゃんは泥棒じゃないんだ。
携帯のことは、紫吹が戻ってきたら直接訊こう。 そう決めて、陶子はバッグを膝から下ろした。
テレビではクイズ番組が終了し、三分ほどのニュースが始まっていた。 陶子はほとんど注意を払っていなかったが、ある一つの名前が耳に飛び込んできて、稲妻のような速さで画面に顔を向けた。
「……国分寺市本多三丁目の藤沢純子さんの二階建て住宅の一階で、男性が死んでいるのが発見されました」
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