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≪31≫
あれ……。
持ってくるのを忘れたかな、と一瞬思った。
だが、考えてみたら、起きたとたんに見たのは携帯の時計だった。
「ねえ、こっち寒いの。 着替えたらストーブ持ってきていい?」
「え? あ、はい」
しょうがない。 後で探そう。
陶子はストーブをぶら下げて、のそのそ部屋を出た。
サンドイッチがほしくないなら、マフィン食べる? と紫吹は訊いた。 なんとなく、二人は狭いカウチでまた身を寄せ合い、柔らかくておいしいマフィンにジャムやチーズを添えて口に入れながら、世間話を始めていた。
紫吹はとても聞き上手だった。 よくわからない内に、陶子は父の失踪と母の悲しみ、その母まで突然の病で失ったショックと日々の不安を、年下の少女に語っていた。
紫吹は静かに耳を傾けていた。 本当に興味を持っている証拠に、ときどき短く質問してくる。
「あの広いお屋敷に、たった一人?」
「ええ。 中に他人を入れるのは、一人暮らしよりもっと心配で」
「確かにそうね。 じゃ、恋人作れば?」
びっくりした。
そんなに都合よく、恋人ができるのか?
「仕事が忙しすぎて、見つける暇ないし、何より私、もてないし」
「うそ」
一言で片付けられてしまった。
「うそじゃないわよ。 これまで誰にも興味持たれたことが……」
いや。 そこで思い当たった。 一人だけ、ウナギのようにするりと、陶子の交際範囲にすべりこんできた男性がいるじゃないか。
ウナギ、という言葉を思いついて、陶子は何だか嬉しくなった。 本当に牧田は掴みどころがなくて、ウナギかドジョウみたいだ。
気付くと、紫吹が目をくるくるさせて下から覗きこんでいた。
「ほぉ、やっぱり誰かいるな」
「いません」
「ま、認めたくないならいいけど」
あっさり引き下がると、紫吹は冷めかけたコーヒーを一口飲んだ。
「ともかく、今日はここで隠れていて。 私が陶子さん家の様子見てくるから」
「でも、あなただって忙しいでしょう? 私がここにいるだけで十分お世話になってるのに」
「へいきだって。 仕事って寄付集めのことでしょう? あれは友達手伝ってるだけだから。
それに、あなたって全然ウザくないし。 礼儀正しくて、ほんとに静か。 私の友達なんて、ブラッて来て、冷蔵庫の中身平気で空っぽにしていっちゃうのよ。
だから、気遣わないで、ここで待っててね」
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