表紙目次文頭前頁次頁
表紙

透明な絵 ≪30≫

 陶子が飛び起きたとたんに、足元で何かが床に落ちてチャリンという音を立てた。
 壊れた様子はない。 気がせくのでわざわざ見に行かず、陶子はビッグTシャツ一枚の裸足で床に降り立った。
 床材はひやりと冷たかった。 でも、ストーブがついたままで、部屋全体は程よく暖まっていた。
 無断欠勤した!
 何より真っ先に、そのことが良心を直撃した。
 会社に連絡しないと。 でも誰に、何て言おう。
 スリッパに足を入れ、とりあえず携帯を掴んだところで、ドアが大きく開いた。 そして、にこにこしながら紫吹が入ってきた。
「よく寝たね〜。 やっぱり疲れが溜まってたのね」
 手に持った小さなトレイを、紫吹はベッドの上に載せた。
「コーヒーと、とりあえずコンビニのサンドイッチ。 食べてみる?」
「ありがとう……」
 喉が乾燥して声がひどくかすれていたので、陶子は咳払いして言い直した。
「コーヒーだけ頂くわ。 あの、ここの住所教えてくれる?」
「なぜ?」
 紫吹はきょとんとした。
「あなたは隠れてるのよ。 忘れた?」
「それはそうだけど」
「調布〔ちょうふ〕市の外れ。 それでいいじゃない。 さあ、コーヒー冷めないうちに飲んで」
 ひどく落ち着かない気分で、陶子は一口コーヒーをすすった。 熱くて、とてもおいしかった。
 紫吹はベッドに腰掛け、真面目な顔で言った。
「ここはできるだけ知らせないで。 あなたは命を狙われてるんだから、誰にもわからないように隠れてなくちゃ」
「誰にも?」
「そう。 だってお父さんの偽者は、あなたを一度殺しそこなってる。 だから、見つけるためには何でもすると思う」


 忘れていた寒気が、また戻ってきた。
「鳥肌が立ってる」
 心配そうに、紫吹が陶子の腕に温かい手を置いた。
「着替えする?」
「え? ああ、したほうがいいわね」
「じゃ、リビングで待ってる」
 紫吹は、空のカップと包んだままのサンドイッチを盆に置き直して、寝室を出ていった。


 昨日の服に着替え直した陶子は、考え事をしながら上の空で、携帯の置いてあるはずのテーブルに手を伸ばした。 だが、ベッド脇の小さな木製のテーブルには、何も置いてなかった。
 慌てて、陶子は膝を曲げ、ベッドの周囲を探した。 布団もめくって見た。
 どこにも携帯はなかった。








表紙 目次前頁次頁
背景:Vega
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送