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表紙

透明な絵 ≪29≫

 紫吹は全然驚かなかった。
 むしろその態度のほうが驚きだった。 ふつう信じられないだろう。 十五年も経って不意に父親が戻ってくるとか、顔もパスポートも本物なのに中身が違うとか言われれば。
 しかし、紫吹という少女は、どんな奇妙な話でもスッと納得できるらしかった。
「顔は整形かな」
 考え深い表情で、紫吹は呟いた。
「パスポートは、きっと盗んだのね」
 紫吹が即座に理解してくれたので、陶子は泣きたいほどホッとした。
「少しはうちの事情を知ってるらしいの。 私の誕生日を答えられたから」
「それは調べられる」
 紫吹はきっぱりと言った。
「でも、家の中のことは全然知らなかった。 部屋がどこにあるか、庭はどうなってるか」
「忘れたことにすれば、ごまかせると思ったんでしょうね」
 少女は、そう言って大きな目をくるっと回した。
「だいたい、日本へ来たのが間違いだと思うな。 不意に現れて、あなたを始末して、すぐ財産を相続できるほど、日本の警察は甘くない」
「私、父親と名乗ってあの男が現れたこと、まだ誰にも話してないの。 あなたが初めて」
 陶子は打ち明けた。
「会社の人にもよ。 どこかで完全に信用しきれてなかったのかも」
「きっとそうでしょうね。 でも、懐かしかったんだ。 本当のお父さんだといいなと思って、信じたくて家に迎えちゃったんだよね」


 まさにその通りだった。
 母を失って、ずっと心細かった。 肉親の支えが欲しいところへ、絶妙のタイミングで『父』が現れたのだ。
 陶子は涙目になって、横の少女を見た。 年下なのに、包むような温かさがある。 うまい言葉には用心しなさい、という母の教えを、この夜はきれいさっぱり忘れて、陶子は紫吹の優しさにすがりついた。
「そう……会社でも家でも緊張して、疲れてたの」
「ここでは安心して。 ゆっくり寝るといい。 あなたがここにいることは、絶対にソイツにはわからないんだから」


 うなずいているうちに、瞼が重くなってきた。 
 紫吹は、リビングに置かれていた電気ストーブを寝室に運んで、スイッチを入れてくれた。 そして、自分の部屋からビッグサイズのTシャツとジャンボタオルを持ってきた。
「ちっこいバスルームだけど、一応ついてるの。 こっちよ」


 ベッドにもぐりこんで目を閉じたときは、もう夜中の二時を回っていた。
 紫吹の言葉に暗示をかけられたように、陶子は熟睡した。 夢を見たのかもしれないが、あまりにも深い眠りに落ちていたので、起きたときは何も覚えていなかった。
 薄目を開いてみると、部屋は薄暗かった。
 まだそんな時間?
 明け方前のような気がして、陶子は鈍く痛む体を起こした。
 枕もとに置いた携帯を見た瞬間、息が詰まった。 光る数字は、今が夕方の六時近くだということを示していた。










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