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≪28≫
コホッコホッと何となくユーモラスな音を立てて、少女のバイクは二人を運んでいった。 十分ほど大通りを走り、やがて角を二つ曲がって着いてみると、そこは三本の木に囲まれたアパートだった。
「れんげハウスっていうの。 名前が気に入って借りたんだ。 なんか普通でかわいいから。 家賃もリーズナブルだし」
少女は淡々と語りながらバイクを降り、陶子が脱いだヘルメットを受け取った。
「名前まだだったわね。 私は天藤紫吹」
「え?」
はっきりした声で言われたのに聞き取れなくて、陶子は思わず訊き返した。
「てんどうしぶき。 天の藤が紫に吹くって書くの」
その名前は、なぜか陶子にマジシャンを連想させた。
「私の名も藤の字が入るの。 藤沢陶子よ」
「よろしく」
天藤紫吹は力強く言い、右手を差し出した。 陶子はためらいながらも、その手を握り返した。
紫吹の借りている部屋は、外階段を上がって三つ目だった。 表から見るより中は大きく、玄関口を入ると八畳ほどのリビングがあって、右側の壁に二つドアがついていた。
紫吹は皮手袋を外してリビングのテーブルに置くと、窓に近いほうのドアを指差した。
「こっち側が私の寝室。 手前のほうは、学校の友達とシェアしてたんだけど、その子、カレシができて、そっちに行っちゃったの。 だから、好きなだけ泊まっていって」
好きなだけって……陶子は遠慮がちに、きちんと片付いたリビングを見回した。
「ほんとにいいの?」
「いいから連れてきたんじゃない」
軽い足取りで、紫吹はミニキッチンに向かい、テーブルポットのスイッチを入れて湯を沸かしはじめた。
「五分ぐらいで沸くから、その間に部屋見て。 こっちよ」
確かに、その五畳ほどの部屋は誰も住んでいないようだった。 白いパイプベッドの上には薄い羽毛布団が整然とかかっていたが、家具といえるのは、そのベッドただ一つ。 作りつけの小さなクローゼットがあるだけで、中は見事に空っぽだった。
「美枝〔よしえ〕が電気ストーブまで持ってっちゃったからね〜。 今夜はリビングの使って」
「ええ……ありがとう」
ピーッという笛の音がした。 床にバッグを置いている陶子の腕を、紫吹が軽く引いた。
「お湯が沸いた。 夜中にコーヒーだと眠れなくなっちゃうから、ハーブティーどう?」
「いただきます」
陶子は従順に答えた。
二人掛けのモコモコしたアイボリーのカウチに並んで座って、娘たちはカモマイル・ティーの温かいカップを手で包むようにして飲んだ。
「それで?」
不意に訊かれた。 陶子が顔を上げると、紫吹がくっきりした猫のような瞳で覗きこんでいた。
「なんで夜中に家逃げ出したの? 教えて」
飲み終えたカップを小さなテーブルに置いてから、陶子はぽつぽつと事情を話した。
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