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≪25≫
洗面所でドライヤーをかけている間、陶子の頭脳はせわしなく動いていた。
これは悪夢だと思いたい。 だが、事実だった。 陶子はもともと感情に波のない性格で、想像癖もないのだが、父に再会してからずっと心の隅に違和感がわだかまっていた。 その落ち着きの悪さ、不吉な予感が、ここに来てはっきりと現実の形を取った。
さっき、陶子はわざとではなく、誤解を招く言い方をしてしまった。 梅の木、では、父には通じないはずなのだ。
元の窓下には、桃の木が植えられていた。 春の盛りには満開になって、十年前まで家族の目を楽しませてくれた。
だが、その桃は、ある夏の暑さで急激に衰え、枯れた。 陶子は春の花がなくなって寂しくてたまらず、母に強く頼んで梅を新しく植えてもらった。 六年前のことだった。
建物の近くにある花木は、それ一本だけだ。 母が家の傍に木があるのを好まなかったから。
無理を言って、最初に桃の苗木を強引に持ち込んだのは、他ならぬ父だった。
父なら、自他ともに許す花好きの父なら、絶対に訊くはずだ。 桃の木はどうした?と。 あんなに愛していたんだから。
突如芽生えた疑惑は、『父』がクローゼットの整理をしているのを見て、確信に替わった。
彼は、ハンガーを右手に持ち、左手で服をかけていた。 おそらく左利きか、両手使いなのだ。 だが、父は完全な右利きで、左手は支えにしか使わなかった。 右手は器用なのに左手は何もしないのね、と、母が笑っていたのを、幼い陶子は何度も聞いた。
それに、改修しても部屋の配置は変わっていない。 説明を聞いても行けないというのは、忘れたんじゃない、知らないんだ。
では、父と名乗り、父の顔をしたあの男は、いったい何者だ!
陶子は、寝室に入るとすぐ、できるだけ音を立てないようにして錠を下ろした。
警察に言わなくちゃ。
真っ先に思ったのは、そのことだった。
だが、いったん電話を手に取ったものの、またサイドテーブルに置いて、額を抑えた。
――いきなり110番して、信じてもらえるだろうか。 あの男はパスポートを持っている。 顔だって写真そっくりだ。 どうして!――
あの男が偽者なら、本物の父はどうなったのか……。
たとえようもなく怖かった。 真っ暗な外の闇に吸い込まれそうな気がして、陶子はいつもつけているスタンドのライトだけでなく、部屋全体を照らす天井の照明のスイッチも押した。
――落ち着いて! よく考えるの。 あいつが父だと言い張ったら、世間は認めるかもしれない。 娘の私でさえ騙されるところだったんだから――
証拠が必要だ。 父ではないという確かな証拠が……!
しびれるような恐怖の中で、陶子は決めた。
明日の朝まで、芝居を打とう。 あの男を父として、さりげなく振舞おうと。
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