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表紙

透明な絵 ≪24≫

「やあ、おかえり」
 悠輔は、間延びした口調で言った。 酒が回っているらしい。 陶子はなんとなく不愉快な気分になったが、顔に表さないようにした。
「鍵、ちゃんと閉めておいてくれたのね」
「用心が大事だからね。 晩飯まだなら、二人で食べに行こうか?」
「あの、帰りに人とレストランに寄ったの」
 父は、がっかりした様子だった。
「それは残念。 一緒に食べるの楽しみにしてたんだよ」


 そう言われると、胸がいくらか温かくなった。 陶子は表情を和らげ、父に近づいた。
「おなか空いた? パスタぐらいなら作れるけど」
「じゃ、頼むか」
「リビングで待っててね」
「キッチンで食べるよ。 こんなに広いんだから」
 そう言いながら、悠輔は陶子がコートを脱ぐのを手伝った。
 仕草があまりにも自然だったので、陶子はコートを渡されたとき初めて驚いた。
「ありがとう……」
 こういうところは外国に長く住んでいて身についたマナーだろう。 感謝しつつも、陶子は何となく落ち着かなくなった。


 通勤着の上にとりあえずガバッとしたスモックを羽織って、陶子はスパゲッティーを茹で、レトルトのミートソースを温めて、イタリアンパセリを添えた。 手抜き料理だが、悠輔はおいしいと喜んでくれた。
「シャンペンの小瓶を買ってきたんだ。 日本に帰ってこられたのに感謝して、乾杯しよう」
 素早く食べ終わると、悠輔は食器棚からグラスを二つ指に挟んで出してきて、ナイフで器用に栓を開け、泡立つ液体をなみなみとそそいだ。
「これからの幸せを祝って、乾杯!」
「乾杯」
 陶子は小さく呟き、グラスに唇を当てた。 だが、ほんの一口味わっただけだった。 お酒は好きじゃない。 くそ真面目と言われても、それが自分なのだからいいじゃないかと思った。



 
 父は、居間の入り口付近にバッグを二個置いていた。 電話で説明したが、部屋がわからなかったらしい。
「二階の西よ。 窓の外に梅の木がある部屋」
「いやー、ずいぶんここを離れていたし、改装したから見分けがつかないな。 どの部屋だって?」
「じゃ、ついてきて。 こっちよ」
 陶子は、父をその部屋まで連れていった。 そして、彼がクローゼットを開けて上着やコートをハンガーにかけるのを、黙って見守った。


 おやすみの挨拶をしてドアを閉めると、陶子は自室に戻り、ジャージのパジャマを持って浴室に行った。
 シャワーの栓を回すとき、手がしびれているのに気づいた。 力が入りにくく、かすかに痙攣している。
 こんなじゃ駄目だ、と、陶子は自分に強く言い聞かせた。 今こそしっかりしないと。 私にはいざというとき、母譲りの根性があるはずなんだから。








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