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表紙

透明な絵 ≪18≫

 父はホテルに戻り、陶子は家へ帰った。
 国分寺の駅前でサンドイッチを買い、コーヒーを作って急いで食べた後、午後二時ぐらいから二階の片付けにかかった。
 元の両親の部屋ではなく、西の客間にした。 両親の寝室はずっと母が使っていたから、いなくなって半年で、消えていた父に使われたくなかった。 たぶん母もそう思うだろう。


 三日に一度は掃除していたので、部屋そのものはきれいだった。 後はベッド用の布団を出して、花を飾るくらいだ。 サンドイッチと一緒に買ってきた赤いバラの小さな花束を、陶子は丸テーブルの花瓶に広げて挿した。 父が大好きだと言った花だったから。


 準備ができたと夕方に電話をかけると、悠輔は困ったような口調で告げた。
「ホテルで知り合いにばったり会っちゃってね。 今夜は二人で飲むから、明日の朝チェックアウトするよ」
 陶子は戸惑った。
「明日は仕事があるの。 出迎えできないんだけど」
「一人で行ける。 鍵は持ってるし」
「古い鍵? 使えないわよ。 四年前に家を改修したとき、全部取り替えたから」
「ああ、そうか……」
 間の悪い沈黙がただよった。 陶子は迷って、目をギュッとつぶった。 初めてのことだが、出社を遅らせるか早退して、父を迎えるしかないだろうか。
 これまで無遅刻無欠勤を通してきた。 小さな意地だが、どこか誇りに思っているところがある。 記録を破りたくない。
 心を決めかねていると、父が先に口を切った。
「じゃ、裏口の鍵をどこかへ置いといてくれないか? ドアの上とか、植木鉢の下なんかに」


 陶子は電話を持ったまま、立ち上がって窓辺に歩いた。
 庭の芝生に、オレンジがかった夕日の光が当たっている。 ななかまどの赤い実が風に揺れて、松明のようにきらめいた。
 正直言って、不安だった。 陶子は、七歳までの父しか知らない。 鍵を渡すということは、無防備になることだ。
 でも、父親なんだから。
 自分にそう言い聞かせて、陶子はやや低い声になって答えた。
「わかった。 これから裏口に行って、どこへ隠せるか見てみるわ」







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