表紙目次文頭前頁次頁
表紙

透明な絵 ≪13≫

 父の顔は、それほど今と変わらなかった。
 目じりに皺が増え、髪が白くなって額の生え際が後退したようだが、そのぐらいだ。
 むしろ、変わらなすぎて驚くほどだった。


 うっすらと埃が膜を作った床に座り込み、陶子はつくづくその写真に見入った。
 陶子が小学校に入学することになった記念に、伊豆へ家族旅行したとき撮ったものだ。
 父は、一年後に姿を消した。 蒸発、という言葉があるが、まさにそんな感じで、跡形もなく家族の団欒からいなくなった。
 こんな幸せな写真を残して。


 墓参りに持っていこう、と陶子は決めた。 写真を突きつけて、訊いてみたい。 あの日に凍りついてしまった母の心を、一体どう思っているのかを。




 日曜日は、幸いにも晴れだった。
 忘れ物がないか三度点検して、戸締りも二度見回ってから、陶子は家を出た。
 母が健在の時は、ハウスキーパーの刀根〔とね〕さんがいた。 母の娘時代から来てくれていた人で、陶子が物心ついたときには既に還暦を過ぎていたが、しっかりした性格で優しく、祖母のような存在だった。
 その刀根さんも、八十の声を聞いて、三年前仕事を辞めた。 母が退職金を弾み、居心地のいい有料ホームを世話したが、ゆとりの人生を楽しむ間もなく、去年急死してしまった。
 大事な人を次々と失う。 それがこれまでの陶子の人生だった。




 吉祥寺駅の南口前は、地権の関係で妙に狭い。 手芸店に行く通路脇で、グレイのコートを着た陶子が待っていると、父は十五分遅れで改札口から出てきた。
 手に、気恥ずかしくなるほど大きな花束を抱えている。 胡蝶蘭に大輪の菊、オレンジ色の百合などが、羊歯の間から見え隠れした。
 寺の近くの花屋で買うつもりでいた陶子は、唖然とした。
「凄い……」
「十七年分のお参りだから」
 父は、かしこまった顔で説明した。


 バスで行こうと思っていたが、両手一杯の花束を抱えた中年男と乗るのは、目立ちすぎる気がした。 こんなことなら自分の車で来るんだった、と思いながら、陶子は駅前の細い道を抜け、大通りでタクシーを止めた。 最近は電車通勤に慣れて、あまり運転していないため、一方通行の多いごちゃごちゃした都会の道を走らせる自信がなかったのだ。
 父は、陶子を先に乗せようとした。 お父さんから、と言って、熊手を逆さにしたように大きく広がって邪魔になる花束を受け取ろうとしたとき、タクシーの窓越しに向かいの歩道が目に入った。
 そこに、牧田青年そっくりの姿があった。








表紙 目次前頁次頁
背景:Vega
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送