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≪12≫
なんなんだ、あの人。
ただのナンパ野郎には見えなかった。
だいたい、彼にナンパする気があったとも思えなかった。 驚くほど自然に話しかけてきただけだ。 あんなあけっぴろげな目は珍しい。
それに、彼の微笑には磁力があった。
そこまで考えが進んだとき、ぐったりと寄りかかっていた座席で、陶子は慌てて身を起こした。 おかげで、背もたれに頭をぶつけるところだった。
――初対面の男に惹きつけられた? 何バカなこと考えてるの――
惹かれる、という言葉を思いついただけで、胸がざわめいた。 これまでそんな体験が一度もなかっただけに、いくらか不安が湧いた。
それでも、すぐ気づいた。 牧田は、別の方角へ行ったのだ。 少なくとも、同じ電車に乗ってはいない。 もう顔を合わせることはないはずだ。
そう気づくと、陶子はがっかりした。 認めたくはなかったが。
土曜日は会社に出ることがたまにあったが、その週末は、まるまる休みだった。
貴重な休日の大半を、陶子は広い家の片付けに費やした。 更に言えば、久しぶりに母の部屋に入って、父にまつわる物が残されていないか、探して過ごした。
母が思いもよらず脳出血で急死した当時、陶子は何も手につかなくなった。 まだ四十七歳の若さだ。 頼りにしていたし、唯一の家族として心底愛していた。 やり手の社長としても尊敬していたのだ。
その母が、不意に消えた。 急な知らせで病院に駆けつけ、きれいなままで動かなくなった顔を見たときの、血の凍るようなショックを、今でもはっきりと思い出せる。
だから、これまで遺品の整理どころではなかった。 部屋の前を通るだけで涙ぐみそうになる。 いつかはやらなければと思いつつ、ドアを開けられない日が続いた。
でも、もうそれでは済まない。 陶子は、前に会社で倉庫整理をしたときに支給されたカバーオールをジーンズの上につけ、頭にスカーフを巻いて、そっと母の部屋の鍵を開けた。
外は晴れだが、部屋の中は薄暗く、静けさに満ちていた。
ライトグリーンのカーテンを開くと、大きな出窓からようやく光が入った。 部屋全体を見渡すと、また涙が出てきそうなので、陶子は素早く目をこすった後、まっすぐデスクに向かった。
几帳面な母らしく、引出しには錠が下りていた。 キーのありかを知っていた陶子は、窓際へ行って、陶器の時計の中から取り出してきた。
上の大きな引出しには、万年筆やボールペン、普段使いのはんこなどの事務用品と、メモが入っていた。 一番上に、翌日するつもりだったらしい買い物の品が書き並べてあるのが、目に入り、陶子は泣きそうになって、あわてて裏返した。
右の引出しには、会社の書類があった。 重要書類は会社の金庫にしまっていた母なので、これまで業務に支障は出なかったが、この中にも大事な物があるかもしれない。 火曜日に会社へ持っていって調べてもらおうと思い、陶子は脇に除けておいた。
探していたものは、袖机の一番下の引き出しにあった。
木彫りの額に入ったままの家族写真。 六歳頃の陶子を間に挟んで、父と母が両側から仲良く体を寄せ合っていた。
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