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≪9≫
鉤型をしていて、バーと一続きになっている広いディナールームで、陶子は父の悠輔と食事を取った。
悠輔は意外なことに、久しぶりに帰ってきた日本で和食ではなく、アメリカ風のハンバーグとフライドチキンを注文した。 陶子は食欲がなかったので、少なめの海鮮スパゲッティーにした。
会話は弾まなかった。 父は、ペルーでの暮らしを語りたがらないし、別れていた間、陶子がどう成長していったかについても質問しなかった。 勝手に蒸発していたから、気が咎めて尋ねられなかったのかもしれない。
その代わりに、父はぽつぽつと、今の陶子がどう暮らしているか訊いた。
「会社勤めはどんなだい?」
「大変。 オーナー社長ってこんなに沢山やることがあるんだって、初めて気がついた。 母が忙しくしてたのは、こういうことだったんだって」
母の純子に話題が行くと、陶子はどうしてもひるんで、声が低くなった。
父も同じ気持ちらしく、椅子の上で落ち着きなく腰を動かした。
「純子には本当に申し訳なかったと思っている。 お参りしたとき、墓の前で打ち明けて、許しを乞うつもりだ」
もう遅い、と陶子は思ったが、口には出さなかった。 すでに半分、父を許している証だった。
二日後の日曜日、吉祥寺駅で待ち合わせて、墓参に行くことに、話がまとまった。
食事が済んで立ち上がったとき、父がテーブルの端に目をやった。
「花、忘れてるよ」
なんとなく持ち歩いていた赤いバラを、陶子は指で挟んだ。
「さっき貰ったんだけど、茎が長いから、電車の中でずっと持ってるのは、なんか恥ずかしい」
「まだ蕾じゃないか。 捨てるのはもったいないよ。 僕にくれないか?」
びっくりすると同時に少し嬉しくて、陶子は花を父に渡した。 赤いバラは僕のラッキーフラワーなんだよ、と言いながら、悠輔は棘を取り去ったなめらかな茎をしっかり握った。
正面口で別れるとき、悠輔は名刺を出して、陶子に渡した。 スペイン語で印刷された事務用の名刺だった。
陶子も、会社用の名刺を出した。 親子で交換するのは、妙なぎこちなさがあった。
「じゃ、日曜の午前十時だね」
「そう。 花やお線香は私が買っていきます」
「いや、花は僕に買わせてくれ」
父は、きっぱりとそう言った。
一人で戸外に出ると、また強風が吹きつけてきた。 昼間より五度は気温が低下しただろう。 このコートでは寒いな、と襟元をかき合わせたとき、不意に柔らかいものが手に被さった。
ぎょっとして眺めると、それはウールのマフラーだった。
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