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表紙

透明な絵 ≪5≫
 陶子は面くらって、目をパチパチさせた。 二十年ちょっと生きてきたが、人にウィンクされたのは、これがまったく初めてだった。
 ところが、この瞬〔またた〕きが返事と勘違いされたらしい。 青年は更にニコニコ顔になって、下に置いていたバッグをひょいとかつぐと、気軽な足取りで近付いてきた。
 陶子は驚き、後ずさりしようとしたが、横を通り過ぎた乗客に背中が当たって、斜め前に飛ばされた。
「おっと」
 かしいだ体を、青年が受け止めた。 陶子は焦って、口を半分開いたまま、彼を見上げた。
 すると、青年の笑顔が大きくなった。 まるで太陽のような眩しい微笑みで、目じりに愛嬌ある笑い皺がパッと現れた。
 陶子は、また眼をしばたたいた。 ふと全身の力が抜け、彼の顔から視線を動かせなくなった。
 なんて無邪気な笑顔だろう。 大人になっても、こんなあけっぴろげな表情をできる人には、お目にかかったことがなかった。
「大丈夫?」
 おだやかで響きのいい声が尋ねた。 それで、陶子は彼をぼんやり見つめ続けていたことに気付き、慌てて顔をそむけると、落ちかかっていたバッグを肩に上げた。
「ええ」
 青年は、まだ片手を陶子の腕に軽く置いたまま、背伸びして左右を見た。
「どっちから降りたら近いかな?」
「空港?」
「いや、駅の外に出たいんだ」
「どっちみちセキュリティエリアを通るから」
「そうかー」
 どうしてそうなったかわからないが、二人は自然に並んで歩き出していた。


 空港内の駅だから、簡単な検問がある。 免許証を見せて手続を済ませた後、陶子は北口へ向かった。
 気が付くと、青年もついてきていた。 陶子は途中で足を止め、彼に訊いた。
「あなたもこっち?」
「そう」
 青年は、淡々と答えた。
「バス乗り場へ行くんだ。 Tホテルの。 近いから、歩いていってもいいんだけど」
 同じ行き先だ。 別に後を尾けてきたわけではないと、陶子は納得した。


 地下の駅からバス・ターミナルに出ると、屋根の向こうに開いた戸外から、身を切るような風が吹きつけてきた。
 幸い、五分と待たずにバスが来た。 この時間帯は、二十分おきぐらいに発着しているらしい。
 陶子が、これからの面会に考えをめぐらしながら、座席に坐ると、青年も当たり前のように隣りへ腰を降ろした。








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