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≪4≫
とたんに、陶子の心臓が鈍く痛んだ。
傍にいた佐々川に断わって離れ、プランターを置いた窓際まで移動してから、陶子は短く答えた。
「お父さん?」
「そうだ。 Tホテルにしたよ。 3014号室だ」
3014。 陶子はその部屋番号を、しっかり頭に入れた。
「じゃ……七時半にそっちへ行きます。 いい?」
「わざわざ来てくれるのかい?」
低音の声が、一段と優しくなった。
「ええ、ロビーで会って、できれば夕食でも」
「ありがとう」
「ねえ、今までどこにいたの?」
それは、無意識に突然口から飛び出した質問だった。
少し間を置いて、声は静かに答えた。
「会ったらゆっくり話す。 わかってくれるね?」
「はい」
今はおとなしく答えておいて、陶子は電話を切った。
佐々川常務は、元の位置で部下の大石と話していたが、陶子の電話が終わったのに気付いて顔を向けた。
「友達?」
「ええ、まあ」
とっさにそう言ってしまってから、陶子は少し後悔した。 佐々川さんに付き添って来てもらったほうが、いいんじゃないだろうか。
いや、事情ををはっきりさせてから話そう、と、陶子は決めた。 佐々川はいい相談相手だが、彼はサニックスの重役であって、陶子の後見人ではない。 そして、父はサニックスと関係ないのだ。
会社の創業者は、母方の祖父の菅原丈一郎〔すがわら じょういちろう〕だった。
通勤着のまま成田エクスプレスに乗ったとき、時計は六時を過ぎたところだった。
身も心も疲れた気分だったし、ゆっくり考え事をしたかったので、思い切ってグリーン車にした。 窓側の席で、すっかり暗くなった景色を眺めていると、ガラスに不安げな自分の顔が映った。
心細かった。
陶子が七歳のとき、父は不意に帰ってこなくなった。 覚えているのは、母が血相を変えて、あちこちに電話をかけまくっていたことと、ある日小学校から戻ると、家中に男性用の服や靴、バッグなどが散乱していたことだった。
翌日、その衣類は魔法のように消えた。 そして、父が写した写真アルバムも。 飾り棚に置いてあった家族写真までが、どこかに行ってしまった。
それまで週の半分は陶子と一緒に過ごしていた母は、仕事にのめりこむようになった。 社長の丈一郎に助言して、メイン商品の「薄づきなのに肌の欠点をほぼすべてカバーする白粉」の名前をホワイトカバーからアンジェラ・パウダーに変え、パンフレットも一新して売り上げを三倍に伸ばした。 社内では伝説のようになっている話だが、陶子は聞くたびに、がらんとした美しい洞窟のようになった家を思い出して、心が痛んだ。
もうそこは、笑い声がめったに響かず、妻だけの片肺飛行になってしまった、寂しい家庭だった。
電車がゆっくり止まって、陶子は長い物思いから醒め、うつむいて降りた。
なにげなく、目が周囲を見渡して、ホームの端に行きついた。
昇降口へ急ぐ人の流れに逆らうように、若い男が一人で立っていた。 背丈は並みよりちょっと高く、額から上ぐらいが人より抜き出ていた。
妙によれよれの黒い大きなバッグを手に下げて、彼も辺りを見回していた。 そして、陶子と目が合うと、不意にニコッとして、軽く片目をつぶってみせた。
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