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表紙

手を伸ばせば  エピローグ



 二日続きの披露宴は、周到な準備のおかげで、ほぼ何の失敗も起きず、大成功の内に終わった。
 そこでようやく、ジリアンはパーシーとしめし合わせて、『一日も早く故郷へ帰る作戦』の実行に入った。
 つまり、王族の一人と大貴族二人の屋敷に返礼訪問して、浮世の義理を果たし、その後すぐ実用品の買い物を始めた。
 そして、まだ夏の盛りの七月末、新しく作らせた最新型の馬車に荷物を積んで、さっとアボッツ村へと走らせた。
 母のジュリアがヨーロッパ旅行の準備で忙しく出歩いている、その合間に。


 ホノリア叔母との買い物から戻ってきたジュリアは、末娘たちが短い置手紙を残して消えたのを知り、しばらくむくれていた。
 だが、もともと出産を控えたジリアンを長期旅行に連れ出すつもりはなかったので、やがて諦め、夫と叔母を連れて八月初めに出発していった。 船に酔う性質のマデレーンは、次の子ができたようなので用心してついていかなかったし、ヘレンのほうは夫のロスが丁重に断った。


 そして十月の半ば過ぎ、朝食まで元気にもりもり食べていたジリアンが、不意に昼食は要らないと言い出した。
 とたんにパーシーが落ち着きを失った。
 その日は、広大な敷地の端を通る鉄道線路の工事現場を視察に行く予定だったのだが、それどころではなくなって、執事を呼び立てて医者を連れてこさせる騒ぎになった。
 当のジリアンは、いよいよだ! と焦っているパーシーを見て、きょとんとしていた。
「え? 朝に食べ過ぎただけよ。 どこも全然痛くないし、足腰も軽いし」
 現に、戻ってきてシルバーレイクに住みついた当初は、乗馬までしていた。 さすがに九月からは自粛したが、胴回りが以前の二倍以上になった今でも、隣の実家に始終歩いて出かけて両方の庭園を見回ったり、村に出むいては普通に買い物したりして、活発な暮らしを送っていた。
「君の場合、食べなくなったら大事件なんだよ。 さあ、苦しくならないうちに寝室へ行こう」
 大げさな、と思ったものの、こんなに心配してくれる夫が愛おしくて、ジリアンは素直に居心地のいい下の部屋を離れ、もう半月も前から準備の整えられた二階の寝室に上がっていった。


 その四分後だった。 急に波のような腹痛に襲われて、ジリアンはゆったり腰掛けていた椅子から飛び上がった。
「わっ」
 医者の馬が見えないかと、窓から前庭を眺めていたパーシーが、稲妻のような速さで身をひるがえし、ジリアンを抱きあげてベッドに入れた。
「ナイトドレスに着替えておいて、よかったな」
 あえぎながら、ジリアンは目を真ん丸にして夫を見上げた。
「それよりあなたよ。 凄い勘!」
「だから言ったろ? 僕たち一心同体なんだ」
 そんなこと聞いた覚えがないが。 首をかしげたとたん、腰を押しつぶすような痛みが走り、ジリアンは横に寄り添うパーシーの腕にしがみついてしまった。
 とたんに、声が聞こえた。 初めはくぐもったような細い泣き声で、続いて力強い小さな咆哮になった。
 ジリアンは口に手を当て、パーシーは息を呑んだ。
 やがて二人は、同時に叫んだ。
「生まれた!」


 それから八分後に、予約しておいたドーカス医師が駆けつけてきたときには、寝室はすっかり片付けられ、家政婦や小間使いが詰めかけて、お祝いムードに沸き立っていた。
 最初に、ベッドで白い塊を幸せそうに抱きしめているジリアンを目にして、医師はホッとして声をかけた。
「おめでとうございます! できるだけ急いで来たんですが、ご無事ですか?」
「無事ですとも」
 野太い返事が、ベッドからではなく窓のほうから聞こえた。 医師が顔を向けると、そこにはパーシーが満面の笑みで、もう一つの塊を腕に抱いていた。
 ドーカス医師の目が、忙しく左右に動いた。
「あの……」
「双子だったんです」
 ジリアンが乳をふくませながら、歌い出したいような様子で答えた。
「この子がバーティ。 バートラム・マーカス・ライオネルで、パーシーが抱いているのがヴィッキー。 ヴィクトリア・ミランダ・アメリア。 デントン・ブレア本家に五十年ぶりに生まれた女の子ですって」


 二人にゆっくりと新婚生活を味わわせようと気を遣って、コリンとリュシアンはプリマスの父の家に行っていたが、無事出産の知らせを聞いて、連名でお祝いを送ってきた。 それは、ユーモラスな顔をした木馬と、えらく気取った顔をしたフランス人形だった。
 マデレーンとヘレンは、早く新生児を見たくてたまらない様子で、かわいいベビー服のプレゼントと共に、何通も長い手紙をよこした。


 ヨーロッパで豪遊していた一行は、十二月半ばにようやく帰国した。 港には、クリスマス休暇で帰省したフランシスが迎えに行った。
 そこでわかったのは、ホノリアがついに再婚相手を見つけたという、喜ばしい事実だった。 彼女は行きの船旅で、髭の立派な退役軍人と知り合い、すぐ付き合い始めた。 初めは火遊びかと思っていたのだが、フランスで婚約して、本気だったとわかった。
「もう夫婦みたいに、二人だけで別行動を取ってたのよ。 こちらならスキャンダルになるところだわ。 それで、スイスのイギリス大使館でささやかな式を挙げてね、向こうに残ったの。 しばらく新婚旅行を続けるらしいわ」
 ジュリアは何でもない風にフランシスに話したが、内心は寂しいようだった。 悪友のキャロラインは牢獄で処刑を待っている。 あと本音で噂話ができるのは、ホノリアだけだったからだ。


 数少ない親友が消え、娘たちとは疎遠な暮らしが続いた。 ジュリアが興味を示さないので、近くに住むマデレーンも子供を見せに行かず、家が離れているヘレンとジリアンも、子供が小さいのでクリスマスにはロンドンへ里帰りできないと手紙を書いた。
 
 
 やはりクリスマスは家族の行事だ。 デナム公爵夫妻は、忙しく年末パーティーやチャリティー行事に出歩いていたが、華やかさの割には、なんとなく取り残された気分だった。
 夜更かしが続き、ジュリアは肌荒れを気にしていた。 前は味方だった鏡も、最近は見るのがおっくうになってきている。 前に座ると、かすかな不安がひたひたと心を侵食した。
 彼女の素顔を見ることのできる娘が、傍に一人でもいれば……。 しかし、男性二人は上手な化粧で完璧に仕上げた美しい妻と母を見せられていて、特に疑問には思わなかった。
 家にいてもつまらないから、夫や息子がいない時でも、ジュリアはよく外出した。
 新年に入った街は静かだった。 クリスマス商戦は終わり、都会全体が冬の厳しい寒さに包まれて、身を縮めているように見える。 前ほどドレスや装身具に興味を引かれないにもかかわらず、ジュリアは意地になって買い物を続けた。
 そして、小雪の舞うある午後、馬車の中で意識を失った。 屋敷の車止めに入り、扉を開くまで、従者たちは誰一人、ジュリアの急死に気づかなかった。


 葬儀は盛大に行われた。 華麗なことが好きだった妻のため、デナム公は最大級に立派な式を執り行い、名士が多数参列した。
 娘たちは黒の礼服に身を包み、彫刻をほどこした見事な棺がしずしずと墓穴に下ろされるのを、無言で見守った。
 医師によると、不規則な生活と偏った食生活、それに過去の四度にわたる出産で高血圧が進んでおり、もろくなった血管が脳内で切れて大事に至ったのだろうということだった。
 スタイルの美しさを保つため、ジュリアは極端に小食で、おまけに偏食だった。


「こんな寒い時期に出歩くような体調じゃなかったんだわ」
 式の後、気が抜けたように居間の椅子に座りこんだヘレンが、ぽつりと呟いた。
 マデレーンがその横に座り、手を重ねた。
「お父様には言わないでね。 がっかりして、ずいぶん白髪が増えてるから」
「一人ぼっちだったというのが、かわいそう」
 暖炉にもたれて黙然としていたジリアンが、ようやく口を開いた。
「あんなに賑やかなのが好きなお母様だったのに」
「お祭り騒ぎで旅立つわけにはいかないさ」
 そこへ入ってきたフランシスが、静かに言った。
「母上は人と絆を作れない性格だった。 そっちの方を、僕は気の毒だと思う」




 誕生があれば、死もある。 ジュリアの急死は、一家に暗い翳を落とした。 だが、冷たい冬が過ぎて春が訪れたとき、ラムズデイル家にも新しい家族が到着して、親戚中の祝福を受けた。
 それは栗色の髪の女の子で、ジャクリーンと名づけられた。 弟を欲しがっていたエディはがっかりしたが、他の家族は皆大喜びでジャッキーの誕生を祝った。


 人々の生活は続く。
 マークはクリミア戦線で功績を立て、大佐に昇進した。
 ジョックはフランシスとパーシーから援助を受けて、下町にパン屋の店を出し、繁盛している。 つい最近、手伝いに来ていた近所の娘と、めでたく式を挙げたそうだ。
 他にも、新婚旅行をいったんは取りやめたパーシーとジリアンが、七年後に子供四人を連れてスイスへ行き、ジリアンの学友たちに再会したことや、老レインマコット侯爵が天寿を全うして、ロス・クレンショーが立派に後を継いだことなど、さまざまな出来事があったが、ここはともかく、一つの言葉で締めくくろう。

『そしてみんなは、できうる限り幸せに暮らしました』














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