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表紙

 プロローグ


 飢えた獣のような唸り声をあげて、北風が狭い小路を一気に吹きぬけた。 ジョック・マクダヴィッシュのマントを引き剥がさんばかりに巻き上げながら。
「畜生!」
 襟の留め金が首に食い込んだ。 ジョックは悪態をつき、ラシャのごわごわしたマントの前を、あわてて掻き合わせた。
「くそっ、春だってのに寒いじゃねえか。 こんな日にガキ抱いてうろうろするなんて、まったくざまぁねえや」


 ジョックの不機嫌が伝染したのか、懐に抱えている布の塊がもぞもぞ動き出し、猫のような泣き声を上げた。 初めは小さかったが、だんだん金切り声になる。 階段の下に寄り集まって暖を取っていた宿無しの一人が、埃だらけの顔を上げてからかった。
「どうしたんだい兄ちゃん。 いい男だから、酒場のネエちゃんでも引っかけて腹ボテにして、後始末を押し付けられたか?」
「うるせえ、ゴミはすっこんでろ!」
 下町なまりで威勢よく脅しつけると、ジョックは左右に首を回して、煤〔すす〕にまみれた灰色の町並みを見渡した。
 教えられた通り、右手の二階に赤い絨毯が干してあった。 ジョックは小さくうなずき、足を速めて、その建物の玄関ドアの前に立ち、まず二度ノックしてから、間を空けて三度叩いた。
 少し待つと、ドアが細めに開き、中からキャップを被った女の頭が覗いた。 そして、人目を避けるように、すぐジョックを招き入れ、ドアを閉めた。


 半時間もしない内に、ジョックは出てきた。 入ったときより顔色がよく、せいせいした表情をしていた。 歩きながら、ときどき胸に手をやるのは、連れてきた温かい物がなくなって懐が寒いためだろう。
 あんなやつ、風邪を引いてくたばっちまえばいいんだ、赤ん坊を売るなんて罰当たりなことしやがって。
 そう呟くと、宿無しは隣の他人に擦り寄り、空腹を寝て忘れるため、目をつぶった。




 ロンドンのような、人の出入りの激しい都会では、要らない赤ん坊の数も多い。 うまく始末できなかった新生児は、ネリー・フォーブスの家のような、下町の奥まった部屋に流れてくる。
 預けられた子は、外に捨てられるよりはほんの僅かだけ増し、という程度の世話しか受けられない。 ミルクはほとんど与えられず、お粥の上澄みか薄いスープが常食だ。 元気に大声で泣かれると、立てこんだ街中では近所迷惑だから。
 一年経って生き延びる子は、まずいなかった。


 ジョック・マクダヴィッシュが預けていった赤ん坊は、運が良かった。 たった四日後に、引き取り手が現れたのだ。
 それは、コートのフードで顔を隠した若そうな女で、ひどく焦って落ち着きがなかった。
 ネリーに案内されて、二階の育児室に入ると、ずらりと並んだ木箱を一つずつ覗き込みながら、女はおろおろ声で言った。
「金髪で、青い眼なの。 それさえ合っていれば、奥様は気づきゃしないわ。 夜は舞踏会や晩餐会で、夜中過ぎなきゃ屋敷に戻ってこないし、昼過ぎまで寝ていて、午後はドレス選び。 自分で産んだ子とスパニエル犬の区別だって、つきゃしないわよ。
 それが金髪で、青い眼なら」








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