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表紙

 その1


 ひとしきり途絶えた銃声が、また聞こえた。
 今度は小さく、鈍い音だ。 距離が離れたらしい。


 ジリアンは顔をしかめ、大きな麦藁帽子をぐるりと一巡して顎の下で結ぶようになっている赤いリボンを、ぎゅっと強く締め直した。 耳に帽子の鍔〔つば〕がかかって、嫌な音が聞こえなくなるように。
「かわいそうなライチョウを殺して、何が面白いのよ」
 腹立たしげな呟きは、誰にも聞こえなかった。
 ジリアンが座っているのは、クリフォード家の広々とした白いテラスではなく、敷地の外れにある樫の古木の枝だったからだ。
 ここは、ジリアンのお気に入りの避難場所だった。 読みたい本があるときは、なおさらだ。 夏の風がスカートを揺らすのもかまわず、ジリアンは再びページの上にかがみこみ、夢中で活字を追った。


 ヒロインのエレンが、真っ暗な湖を小舟で横切っていく場面の真っ最中に、カタカタという音が近づいてきた。
 ウォルター・スコットの詩にのめりこんでいたジリアンは、だいぶ前から聞こえていたその音に気づくのが遅れた。 それで、ハッと顔をあげると、十ヤードほどしか離れていない道を、馬車がこちらへやってくるところだった。

 ジリアンは慌てた。 木登りの汚れを防ぐため、古い茶色の上っ張りを着て、二番目に古い頑丈なブーツを履き、足をぶらぶらさせているところを見られてしまったのだ。
 しかも、馬車は樫の木のすぐ脇で止まり、御者が鞭を上げて挨拶してきた。
「よう、ねえさん」
 ねえさん?
 そんな呼ばれ方をしたのは初めてだ。 ジリアンは戸惑ったが、同時に楽しくなった。 横の枝を掴んで身を乗り出すと、ジリアンは明るく呼び返した。
「こんにちは!」
「いい天気だね」
 若く精悍な顔をした御者は、くったくなく応じた。
「で、ねえさんにちょっと訊きたいんだが」
「なに?」
「ラムズデイル様のお屋敷には、どう行ったらいいかね?」


 ジリアンは、きょとんとした。
 この辺りの家屋敷はたいてい知っている。 だが、ラムズデイルという名前は、これまで聞いたことがなかった。
「ああ、あなた道に迷ったのね」
「そうらしいんだよ」
 御者はシルクハットを取って、たっぷりした茶色の髪をごしごしと掻いた。 ジリアンは、陽気な声で教えてやった。
「この道は私道よ。 デナム侯爵の領地で、ほんとは勝手に入っちゃいけないの」
「なんだって?」
 御者は慌てて、帽子を被り直した。 すると、黒塗りの立派な馬車の扉が開き、中から少年の顔が覗いた。


「ここは侯爵の土地なの?」
 少年がいきなりジリアンに尋ねた。 ベルトのついた帽子をきちんと被り、紺色のジャケットの襟から真っ白なレースが覗いている。 その身なりといい、鼻筋の通った顔立ちといい、いかにも育ちのよさそうな子だった。
 ジリアンは、顔が引きつりそうになった。 こんなに着飾った男の子に、小汚い古着姿で、しかも木の枝に座っているところを見られるなんて。 恥ずかしさに自然と声が固まり、ぶっきらぼうになった。
「そうよ。 ラムズデイルなんて知らないわ。 どこから迷いこんできたの?」
 すると、少年の肩越しに、もう一つの頭が覗いた。 こちらは更に端整な顔をしていて、宝石のような眼が冷ややかな光を放ってジリアンを見据えた。
「行き先は、シルバーリーク・アベイだ。 それも聞いたことないのか?」









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