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手を伸ばせば  その294



 三人が旧交を温めあった後で、最後の乗客が馬車の奥から姿を現わした。 背筋がピンと伸びた三十代後半の男性で、いかめしい顔と刈り揃えた髭がいかにも元軍人という感じだった。
 その家庭教師、イアン・フレデリクスが、帽子で叩き合いを始めた兄弟の襟首を、ひょいと捕まえて左右に分けた。
「こーらガキども、いい加減にせーよ。 礼儀を守って貴族らしくせんと、すまきにして池へ放り込むぞよ」
 ジリアンは目をむいた。 猫のように首を掴まれても、コリンとリュシアンは笑顔のままで、口々に言った。
「すみません、フレデリクス先生」
「つい調子に乗りました、フレデリクス先生」
「わかればよーし」
 堂々とした長身の家庭教師は、教え子から手を離し、ジリアンのほうを向いて堅苦しく挨拶した。
「イアン・フレデリクスと申します。 この二人を教えている者です」
「お見事ですわ」
 ジリアンは心から感心した。
「この人たちが楽しそうに怒られているところを、初めて見ました」
「遊びはかまいません」
 フレデリクスはダミ声で言った。
「冒険といたずらは子供の特権です。 ただ、時と場合を選べと言っとるだけです」
「ラムズデイル兄弟で、その教えをきちんと守れるのはハーバートだけですわ」
 ジリアンがわざとしおらしい声で話すので、コリンたちは笑いを押さえるのに苦労していた。




 懐かしい人々が、次々と集まってくる。 次の日には、マホガニー色の見慣れない馬車が、二頭立ての灰色の馬に引かれて前庭に入ってきた。
 軽い朝食の後、一階の談話室でミルクティーを飲みながら、ジリアンとひっきりなしにおしゃべりしていたマディが、ふとガラスの向こうに注意を向けた。
「あら、変わった形の馬車だわ。 新しい流行かしら。 すてき。 ハーブに頼んで、あの形でもうちょっと小さめのを作ってもらおうかな、私専用に」
 ジリアンも上半身を伸ばして、窓の外を眺めた。
 そのとたん、飛び上がって駆け出した。 マデレーンはびっくりした。
「ちょっと、ジリー! どうしたの?」
 脇目もふらずドアに駆けつけながら、ジリアンは叫び返した。
「マディも来て! ヘレンよ! とうとうヘレンが帰ってきたのよ!」


 姉妹は、先を争って玄関に飛び出した。 屋根が緩やかなカーブを描いた馬車からは、初めに中肉中背の青年が身軽く降りてきて、今しも車内から春らしい薄物のケープをなびかせた素晴らしい美人に手を差し伸べ、助け下ろそうとしていた。
 彼女が途中で足を止め、顔を上げた。 同時に、ジリアンが両腕を天高くかざして、肺一杯の声で叫んだ。
「ヘレ〜〜ン!」
 いくらか緊張気味だった美人の顔が、よく晴れた空より明るい笑いで眩しく輝いた。
「ジリー! マディー!」
 彼女の後ろから、淡い小麦色の小さな頭が覗いた。 ヘレンの坊やだわ、とジリアンが思った瞬間、マディが横をすり抜け、青年を遠慮なく押しのけて、ヘレンに思い切り抱きついた。











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