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手を伸ばせば  その292



 たちまち広い食堂が、針の落ちる音も聞こえるぐらい静まりかえった。
 やがて、ごく小さなカチッという響きをさせて、デナム公がフォークを置いた。
「つまりそれは、ヘレンとクレンショーを末っ子の披露宴に招くということか?」
「もう潮時でしょうからね」
 ジュリアは顔色ひとつ変えずに答えた。
「親の許可を得ずに飛び出せばどういうことになるか、ヘレンも充分思い知ったでしょうし」
 確かにヘレンは苦労した。 夫のゴードン・クレンショーも、他人の領地で責任ある仕事について、相当揉まれたにちがいない。
 だが、二人の絆は強かった。 子供にも恵まれ、立派な家庭を築いているらしい。
 そのヘレンに、堂々と逢える。 結婚生活の先輩として、いろんなことが聞けるだろうし、子供たちを連れてくるにきまっているから、かわいい顔を見ることができる!
 ジリアンは胸に片手を当てて、ぼうっとなった。 嬉しくて、目頭が濡れてきた。
「ありがとう、お母様」
 久しぶりに心から母に礼を言った気がする。 戸惑い気味のジリアンの斜め前で、フランシスが低く咳払いした。




 豪華なパーティーに慣れている一家ではあったが、自宅で家族の結婚披露宴を開くのは、現公爵(当時は侯爵だった)のとき以来で、二十年よりもっと前のことだった。
 だから念には念を入れて、十日以上前から飾り付けを始めた。 遠方から来て、しばらく滞在する客のために、二階と三階、そして離れの部屋まで手入れされ、美しく整えられた。
 近くに住んでいても、マデレーンは子供たちを連れてさっさと実家に泊まりこんでいて、付き添いで引っ張ってこられたハーバートはデナム邸から出勤する有様だった。 おかげで二人の長男エドガー(エディ坊やと呼ばれていた)はすっかりフランシスやパーシーになつき、ポニーに乗せてもらったり、肩車で移動動物園のゴリラを見に行ったりして、ご機嫌だった。


 宴の四日前に、ようやくアボッツ・アポン・ロック村から大型馬車が到着した。 乗っていたのは、もちろんコリンとリュシアン、それに新しい家庭教師のイアン・フレデリクスだった。
 二人の『弟』の到着を待ちかねていたジリアンは、執事のオズボーンから知らせを聞いてすぐ、玄関へ走っていった。
 息を弾ませながら玄関前の石段に出ると、銀鼠色のシルクハットを被った若者が身を屈めて馬車から降りるところだった。
 軍隊出身だという新入りの家庭教師かしら、とジリアンは思った。 だが、長い脚で地面に降り立ち、帽子の角度を直しながら上げた顔には、明らかに見覚えがあった。
「コリン……?」
 あまりの驚きに、ジリアンの声がかすれた。 少し逢わなかった間に、コリンは一足飛びに少年から青年に飛躍を遂げていた。











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