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手を伸ばせば その287



 マックスは手に持った分厚い書類を抱え直し、鼻眼鏡の上から注意深くジュリアを確認した。
「これは、やはり奥方様でしたか。 意外なところでお目にかかりますな」
 いらいらして、ジュリアは思わず甲高い声を出した。
「意外なのは貴方よ! この家でいったい何をしているの?」
 マックスは眼鏡を外してポケットにしまい、重々しく答えた。
「整理です。 パーシー様、つまりライオネル様の侯爵位継承が内定しましたので、昨日公爵様がわたしをよこされました。 婿君のために屋敷を引き継ぎ、前に住んでいた方たちの跡をさっぱり消すようにと」
 ジュリアの手が、レティキュールの紐を千切れんばかりに掴んだ。 灰色のヴェールの下で、美しい顔から血の気が失せた。
「整理ですって……?」
「はい。 これまでの雇い人には全員暇を出し、本家から老オズボーン氏と下男二人、メイド二人を連れてきて、一階の奥から片付けを始めさせています。
 いまジェラルド様のお部屋の金庫から、これを出してきたところです。 ほとんどが借金の覚え書と督促状で」
 きちんとした性格のマックスは、嫌そうに顔をしかめながら、分厚い書類に目をやった。
 ジュリアのほうはそれどころでなく、焦りが言葉に出た。
「宝石箱は見つけた?」
 マックスは瞬きした。
「いいえ、わたしは存じませんが」
「それなら私が見つけてくるわ。 キャロラインの隠しそうな場所ならわかるから。 彼女たちが借金まみれなら、宝石を処分すればいくらかの足しになるでしょう」
「はあ」
 ためらうマックスをしりめに、ジュリアはキャロラインの部屋に突進し、ドアを二つ開けて寝室に飛び込むと、秘密の棚のパネルを回した。
 すぐ後からマックスがついてきたが、もう構っていられなかった。 ジュリアは精巧な銀細工の箱を開き、豪華なブローチやネックレスを掻き分けて、箱の底板を外した。
 中にはやはり別の手紙の束が入っていた。 今度こそ目当てのものだろう。 ジュリアは紙束を掴み出し、素早く宛名に目を通した。
 マックスが近づいてきて、静かに訊いた。
「キャロライン様に出された手紙ですか?」
 あった! 
 手提げに入れて、ギュッと紐を締めると、ジュリアはようやく落ち着いた気分になれた。
「ええ、そう。 いい友達だと思っていたから、遠慮なくいろんなことを書いたの。 警察や新聞記者の手に渡ったら誤解されそうなことを」
「そうですね」
 マックスは、残った宝石箱を受け取った。
「立派なエメラルドやルビーです。 このレザーの袋に入っているのは、有名なチェイリントンのパール・ネックレスでしょう。 パーシー様はキャロライン様の息のかかった物など絶対要らないとおっしゃってますから、奥方様のご意見通り、これを競売にかければ借金は清算できそうです」
「では、後をよろしくね。 私は屋敷へ帰ります」
 マックスは窓に近づき、カーテンを少しだけ持ち上げて外を見た。
「雷は止みましたが、雨はまだ続いているようです。 道中お気をつけて」




 ジュリアは馬車の中で手紙を封筒から取り出し、じっくり読んだ。
 やがて、その表情が変わった。 便箋が一枚足りない。 それも、もっとも肝心な部分が!
「ああ、どうしよう」
 反射的に呻きが漏れた。あのキャロラインが、気をきかせて処分したとは思えない。 むしろわざと別にして、後々まで脅迫材料にするために、もっと安全なところに隠したとしか。
「悪魔め!」
 ジュリアは低く吐き捨て、これからのことを考え始めた。
 また強請〔ゆすり〕の材料に使おうとしたって、封筒もサインもないペラペラの便箋一枚なら、証拠としては弱い。 偽物だと言い張ってやる。 嘘つきの犯罪者なんて、誰が信じるだろう。
 もう私は無事、自由!──ジュリアは手紙を握りつぶし、懸命に自分に言い聞かせた。


 家に着いたときには、雨は小降りに変わり、空もだいぶ明るくなってきた。
 ジュリアは珍しく、びしょぬれになった御者をねぎらい、半クラウンのチップを渡してから、玄関に入った。
 今日は、画廊とデントン・ブレア邸に行って、とても疲れた。 食欲はまったくない。 早く二階に上がって風呂に入り、くつろぎたかった。
 だが、ジュリアが優雅に広がる階段の裾に来ると、その背後から黒っぽい姿が現われ、道を塞ぐように前に立った。
 それは、心なしか暗い表情をした彼女の息子、フランシスだった。











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