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手を伸ばせば その271


 たちまちオズボーンはよろめきながら立ち上がった。 椅子が音を立てて後ろに倒れたが、見向きもしなかった。
「何ですと? 毒? まさか厨房の者たちをお疑いでは……」
「ずっと勤めている人たちを疑ったりしないわ。 新しく入った臨時雇いは? 誰かいる?」
「いいえ、そのような者は」
と言いかけて、オズボーンの視線が迷ったように動いた。 その動作に、ジリアンは飛びついた。
「心当たりがあるのね!」
「いや、新参者ではありません。 ただ、今日明日はたくさんのお泊り客がいらっしゃるので、引退したシモンズさんに手伝いを頼みました。 暖かくなって足の関節炎の具合がだいぶいいそうで、小遣いを稼ぎたいと申し出てきたもので」
 シモンズ夫人のことは、ジリアンもよく覚えていた。 物静かで菓子作りが上手く、幼い三人姉妹といたずら盛りのフランシスに、よく作りたての銀色にピカピカした飴や上品な味のクッキーをこっそり食べさせてくれたものだった。
「優しい良い人だったわね。 仕事を辞めて森の向こうに引退して、もう十年以上経つんじゃない?」
「さようです。 十二年会っておりませんでした。 こう言っては何ですが、ずいぶん老けていて、見違えました。 ただ、菓子作りの腕は相変わらずで、籠に一杯ねじりキャンディやビスケットを持ってきましたのでね。 充分使えると思ったのです」
「では視力も落ちているわ、きっと。 誰かがシモンズさんを騙して、砂糖の代わりにストリキニーネを入れさせたかも」
「ストリキニーネ!」
 執事は真っ青になった。
「まだシモンズさんは厨房にいるはずです。 すぐ行って、コーヒーを作ったか確かめてまいります」
「私も行きます」
 二人がそそくさと事務室を出たとき、廊下がざわめいて、人々が出てきた。
 いつの間にか、マニング医師の助手のネイト・ホーンが来ていて、医師の鞄を持って先に立って歩いていた。 どうやら急患があって、マニングを迎えに現われたらしかった。
 ぞろぞろと一緒に出てきた中に、デナム公爵がいた。 彼は執事を目に留めると、大声で呼んだ。
「オズボーン!」
「はい、閣下」
 一瞬ためらったオズボーンを見て、ジリアンは素早く囁いた。
「行って。 台所には私が行くから」


 広い屋敷は、こういうとき実に不便だ。 建て増しを繰り返したため複雑な構造で、何度も廊下を曲がらなければならない。 気持ちが焦って、ジリアンは途中から駆け足になった。
 南階段の横を走りぬけようとしたとき、視野の隅で動くものがあった。
 ほんの小さな動きで、気のせいかと思うほどだったが、ジリアンは反射的に顔を向けた。
 同時に、ヒュッと空気を切る音が聞こえた。
 その直後、ジリアンの後頭部に何かが強く当たり、彼女は暗黒の世界に崩れ落ちていった。











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