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手を伸ばせば その270


 医師の言葉で、嬉し泣きをしていたジリアンの意識が、さっと引き戻された。
 ジリアンは素早く立ち上がると、ほっとした顔で洗面器の水に手を入れ、洗おうとしていたマニング医師の傍らに行った。
「何の毒だと思われます?」
 ジリアンの低い問いに、マニングは動作を止めて小声で答えた。
「十中八、九、ストリキニーネです」


 ストリキニーネ!
 ジリアンの頭が、くらっとなった。
 それは神経系を麻痺させる強烈な毒薬で、たいへん危険だが、当時は庭を荒らすモグラや狐を退治するため、普通に使われていた。
 手洗いを再開し、水を切ってタオルで拭いた後、マニングはジリアンだけに聞こえるように言った。
「毒は口から入ったものと思われます。 ストリキニーネは相当苦いので、味をごまかせる飲食物といえば……」
「コーヒーだわ」
 ジリアンは反射的に呻いた。
「パーシーの大好物なんです。 飲みすぎなので、今日は飲まないようにとすると約束したのに」
「だから少しで止めたんでしょう。 おかげで即死しないですんだ」


 ジリアンは早足で隣のビリヤード・ルームに入り、部屋中を見回した。
 ビリヤード台の傍の丸テーブルには、シェリーとブランディの瓶が置かれているだけだった。 キューがあちこちに散らかり、台の上の照明もつけっぱなしだが、グラスもコーヒーカップも、まったく見当たらない。 さっきまで賑やかに男性たちが玉突きをしていたにしては、不自然な光景だった。
 ジリアンは唇を噛んだ。 証拠を消すために、犯人が持ち去ったにちがいない。 毒を呑まされたとわかったとき、いちはやく気づいていれば、もしかしたら……。
 いや、まだ間に合うかもしれない!
 ジリアンはスカートをひるがえし、ドアに突進して、廊下を走った。


 ジリアンが事務室に飛び込むと、デスクの前に座って頭を抱えていた執事のオズボーンが、驚いて顔を上げた。
「ね、テディ、聞いて!」
 ひらめいた考えに夢中になって、ジリアンは無意識にオズボーンを仇名で呼んでいた。
「パーシーはコーヒーを頼まなかったはずよ。 私と約束したんですもの」
 執事としての体面を忘れて、一瞬オズボーンはきょとんとした表情になった。
「コーヒー ……ですか?」
「そう! うちの男性たちはビリヤードのときお酒を飲むわ。 ハーブも同じ。 でも、誰かがコーヒーを作って持っていった」
「それが何か?」
 ジリアンはデスクに両手をついて身をかがめ、オズボーンの目を見て一気に言った。
「そのコーヒーに毒が入っていたの」
 











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