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手を伸ばせば その268


 外に飛び出して、叢〔くさむら〕の陰に胃の中のものを吐いた後、ジリアンは庭を突っ切り、最短距離で台所へ向かった。
 中は、いつになく静かだった。 夕飯にはまだ間があるし、大変な事件が起きてしまったので、ちゃんとした晩餐になるかどうかさえわからない。 支度のしようがなくて、料理人たちは鍋の手入れをしたり、数人ずつ寄り集まって小声で心配そうに話し合ったりしていた。
 そこへいきなり、青い顔をしたジリアンが飛び込んできたため、二十人近くいた人々は一斉に振り返った。
「お嬢様! じゃない、若奥様」
 頬がリンゴのように赤い下働きの少女ジャニスが、呼び名を間違えていっそう顔を赤らめた。
 ジリアンはせわしなくジャニスや他の連中に挨拶した。
「放っておいて悪いわね。 実はビリヤード室でマデレーンと私の夫が倒れたの」
 やはり、という表情で、ほとんど女性で構成された料理人たちは顔を見合わせた。 使用人の間でいち早く、情報が伝えられていたようだ。
 竈〔かまど〕の傍から、料理人頭のメイトランド夫人が進み出て、心配そうな顔でジリアンの手を取った。 ジリアンたち兄妹がまだヨチヨチ歩きのころからここに勤めているので、ほぼ家族同然の仲だった。
「ジリーお嬢様、お辛いでしょう」
 優しい言葉をかけられて、ジリアンは思わず涙を流しそうになり、唇をぐっと噛んだ。
「ありがとう、慰めてくれて。 重態だけれど、まだ希望はあるわ。 お医者様のマニング先生がね、きのこについて詳しい人を見つけてくれとおっしゃるの」
 きのこ、という言葉が耳に入ったとたん、出入り口近くで黙々とコークスの入れ物を下ろしていたパークス老人が、皺を深く刻んだ顔を上げた。
「きのこですかい? それならあっしとロッキーにおまかせください」
「そうですよ、お嬢様」
 メイトランド夫人が、すぐに加勢した。
「ここできのこ料理をするときには、必ずパークスさんに調べてもらうんです。 いつも百発百中。 毒きのこはどんな小さなかけらでも見逃しません」
「よかった! すぐ緑の間まで一緒に来てちょうだい」
 ジリアンはそう叫び、パークスの袖を掴んで、引きずるように再び庭に飛び出した。


 窓から二人が走ってくるのを見つけたのだろう。 マニング医師は廊下に出て、庭に通じる扉を開き、ジリアンと老人を招き入れた。
 そして、すぐパークスに尋ねた。
「今の時期、フライ・アガリックを見つけられるだろうか?」
 よれよれの帽子をサッと脱ぐと、パークスはかしこまって答えた。
「はい、固まって生えているところを知っておりますよ」
 医師は一瞬目をつぶり、安堵の表情になった。
「それでは、ただちに行って採ってきてもらいたい。 あるだけでいいが、できれば三本か四本ほど」
「へい」
 パークスは不安そうに背の高い医師を見上げた。
「若旦那さま方は、フライ・アガリックにあたったんで?」
「いや、その逆だ」
 マニングは口早に答えた。
「毒消しに使うんだよ。 前に成功したことがある。 さあ、急いで!」
「へい!」
 パークスは、すぐに背を見せ、広大な敷地の東を目指して駆けていった。 その後ろ姿には、お屋敷の住人の役に立てるという専門家の誇りがにじみ出ていた。


 ジリアンは、恐れと希望に引き裂かれていた。 フライ・アガリック(和名はベニテングタケ)は、よく絵本に描かれる赤い傘のきのこだ。 見かけは派手だが、猛毒があるといわれている。 そんなものを、苦しんでいる二人の口に入れるのだろうか。











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