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表紙

手を伸ばせば その253


 外はそろそろ春の兆しだった。
 整備された舗道脇では黄水仙や雪柳がそよ風にたなびき、芽を吹きかけたケヤキの下でスミレが肩を寄せ合っていた。
 ひとかけらの雲もない晴天で、けっこう強い日差しが顔に降りそそいだが、ジリアンはものともせず、きらきら輝く太陽に大きく微笑みかけた。
「いい笑顔だ」
 軽々と馬を操りながら、パーシーが言った。 ジリアンは日傘を後ろに倒したまま、いかにも楽しげに答えた。
「やっとピンや型紙の山から脱出できたんだもの。 おかげさまで助かったわ、パーシー」
「どういたしまして、奥様」
 パーシーも白い歯を見せ、石畳の道をきれいなカーブで曲がった。 歩道を行き交いする通行人が何人も、幸せそうな美しい二人を見上げていった。


 グローブナーからオッターボーン街までは、馬車で十五分ぐらいだ。
 ロンドンにつきものの渋滞が、その朝は珍しく少なかったため、パーシーとジリアンの馬車は十分ちょっとで、モダンなハーバートの新居に到着した。
 訪問を前もってパーシーが知らせておいたらしい。 二輪馬車の車輪が軽やかなカラカラという音を立てて車寄せに入ると、すぐに玄関からマデレーンが走り出してきた。
 久しぶりに姉を見て、ジリアンも大喜びで立ち上がり、一気に飛び降りようとした。 慌てたパーシーが妻の肘を掴んで引き止め、急いで下りてから抱き下ろした。
「こら、もう自分一人の体じゃないんだから」
 声を落として叱ったのだが、すぐ傍まで来ていたマデレーンに聞こえてしまった。 マデレーンは驚いてのけぞり、それから両手を叩いて喜んだ。
「まあ、そうだったの!」
 姉妹がギュッと抱きつき合って、再会を全身で喜んでいる間に、玄関からハーバートが出てきた。 ゆっくりした足取りで、眼には当惑の色があった。
 パーシーは、静かに向きを変え、ひとつ深呼吸をしてから、長く兄と思っていた人のほうへ歩き出した。
 段を上ってハーバートの前に立つと、彼は口を開いた。 だが、声を出す前に、ハーバートが改まった調子で話に入った。
「手紙をありがとう。 詳しく書いてくれたんで、事情はよくわかった。 大変な事件に巻き込まれていたんだね」
 パーシーは目をしばたたいた。
 唇が細かく震えた。 それから、言葉より先に体が動いた。
 自分のほうが2インチほど高くなってしまった『兄』に、パーシーはガシッと抱きつき、肩に額を押し当てた。
 ようやく発した声は、くぐもっていた。
「すべて兄さんのおかげだ。 兄さんと父さんの」
「よせよ」
 ハーバートはぎこちなく、パーシーの背中をポンポンと叩いた。
「だって、そうじゃないか。 そもそも初めから、あんなにかわいがってもらえる立場じゃなかったんだ。 母さんの隠し子だと思われていたんだから。
 幸せだった。 ラムズデイルの子でいたかった。 それで、三年前に親戚と名乗ってマークが来たとき、カッとなって反発したんだ。
 心のどこかじゃ、彼が正しいらしいとわかっていた。 でも、どうしても認めたくなかった!」
 パーシーの告白を聞いているうちに、立ち尽くしているハーバートの眼が次第になごみ、口元に柔らかい微笑がただよった。











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