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手を伸ばせば その240


 ジリアンの頭に血が昇った。
 ふしだらとは何だ、ふしだらとは!
 正式な結婚だとロッシュ中佐が念を押したにもかかわらず、キャロラインは汚いものでも見るような目つきで、ジリアンを睨みつけていた。
 小じんまりした客間は緊張感が満ち、室温が二度ぐらい上がった感じだった。
 キャロラインの罵り言葉は、他の人にもショックを与えたらしく、皆黙りこんだ。 マダム・タッソーの蝋人形館の展示物よろしく、全員が動きを止めたとき、扉がカチッという音を立てて開いて、中佐の昔の腹心で今は家令をしているヴィクター・レインが顔を覗かせた。
「あの、デントン・ブレアというお若い紳士がお見えになってますが」


 同時に、ジリアンとキャロライン夫人が激しく動き、声を発した。
「マークですか?」
「ジェラルド? もう着いたの?」
 ヴィクターは、困ったように頬をふくらませた。
「ええと、長い名前だったもので。 でも、ジェラルドってのは入っていませんでしたよ、確か」
 マークだわ!
 ジリアンは小躍りして、急ぐあまりスカートの裾を踏みそうになりながら方向転換し、扉に近づいた。
 その足が、二歩でぴたりと止まった。 まるで床に貼りついたように。


 ヴィクターが大きく開けた戸口から、しなやかに入ってきたのは、マークでも、ジェラルドでもなかった。
 それは、パーシー。
 ジリアンの愛するパーシー・ラムズデイルだった。


 彼は、海軍の制服を脱いでいた。 高級仕立てのグレイのジャケットと茶色のズボンを身につけ、いつも風に乱れてタンポポのように散っている金髪はきちんと梳きつけられて、別人のように上品に見えた。
 室内へ入る前に、パーシーは立ちすくんでいるジリアンと視線を合わせた。 海のような紺色の瞳には、吹っ切れた人間の決意と、切実な愛情が溢れていた。
 敷居をまたいだところで、パーシーは立ち止まり、優雅に頭を下げた。
 そして、名乗った。
「突然おじゃまして失礼します。 僕はマーカス・ライオネル・フレデリック・スティーヴン・デントン・ブレアといいます。 今日は、妻のジリアンを迎えに来ました」


 今度こそ、しびれたような沈黙が続いた。
 パーシーが目に入った瞬間から、ジリアンはまともに考えられなくなっていた。 そして、彼が予想もできない自己紹介をしたとたん、激しい耳鳴りで、音も聞こえなくなった。
 マーカス・ライオネル・デントン・ブレア……マークとの結婚式で聞いた名前……。 マーカス・ライオネル・フレデリック その続きは……?


 どうでもいい。
 不意にジリアンは気づいた。
 パーシーが何のためにこんなことを言い出したのかわからないが、これも計画の一部かもしれない。 二人で堂々と逃げるんだ。 今度こそ、二人だけで幸せに暮らせるところへ……!
 ジリアンは、さっと両手をパーシーに伸ばした。 それを見て、パーシーも大きく腕を広げた。 二人は同時に駆け寄ると、しゃにむに抱き合った。












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