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表紙

手を伸ばせば その238


 ジリアンは、そこで頭を引っ込めようとした。
 ところが、まだお付きが手を差し出しているのに気づいて、慌ててまた窓辺にへばりついた。


 もう一人降りてきたのは、女性だった。 深い緑色の旅行服に身を包み、揃いの帽子から濃いネットを垂らしている。 そのため顔は定かではなかったが、きゃしゃな体つきと、ジュリアに話しかけながら小鳥のように首をかしける仕草から、ジリアンはその婦人がジェラルドの母ではないかと思った。
 首をかしげたいのは、こっちのほうだ、と、ジリアンは眉をしかめた。 清楚な美貌で知られるキャロライン夫人は、夫が十年ほど前に病気で他界してから、あまり人前に出なくなった。 それで心配したジュリアが、機会を見つけては夫人を散歩に連れ出し、自宅に招待して気分転換を図った。
 それが、ジュリアの子供たち、特に三人姉妹には評判が悪かった。 キャロライン夫人は優しい話し方をするが、実は子供嫌いなのを、三人は見抜いていた。
 なにしろ、デナム邸に四度訪れた後でも、姉妹の名前を覚えなかったのだから。


 頬をふくらませて、ジリアンは広い廊下から自分用の部屋に戻り、既婚夫人らしく見えるように、地味なストールを選んで肩にかけた。
 落ち着いた年齢の婦人がよく使うレースのキャップを被ろうか、とまで考えたが、鏡の前でやってみると、穏やかに見えないばかりか、緊張のせいで、おばあちゃんに化けた赤頭巾の狼みたいに目がきらきらしていた。 おまけに、どっちかというと、若奥さんより新米のメイドに似てしまう。 フーッと溜息をついて、ジリアンはキャップをベッドに放り投げた。


 ジリアンが姿見の前であれこれやっている最中も、表はざわざわしていた。 新たな車輪の音や馬の蹄の音が聞こえたような気がして、ジリアンが椅子から立ち上がりかけたとき、ドアがノックされて、中佐夫人アナベラの華やかな声が聞こえた。
「私よ〜。 開けていいかしら?」
「どうぞ」
 ジリアンはショールを前で合わせながら、早足でドアに歩み寄り、ノブを回した。
 廊下のアナベラは、ひだ飾りのついた上等な藍色のデイドレスを着込み、髪を結い直していた。 そして、緊張した笑顔を浮かべ、ジリアンを大きな緑の眼で困ったように見つめた。
「お父様とお母様がおいでよ。 驚いたわ、あなた公爵のお嬢様だったのね」
「今では軍人の妻です」
 ジリアンは淡々と答えた。












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