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手を伸ばせば その235


 ロッシュ中佐は、ドアの開く音を聞いて、すぐ顔を上げた。 日ごろは温顔だが、このときは油断なく引き締まって、いかにも軍人らしい表情になっていた。
 入ってきたのがジリアンと知ると、中佐はすぐ緊張を緩め、おだやかな笑いを浮かべた。
「これはこれはデントン・ブレア夫人。 書き物をするなら、こっちの暖炉の傍へどうぞ」
「ありがとうございます」
 ジリアンは、一旦暖炉近くのテーブルに持ち物を置いてから、中佐に向き直り、押さえた声で報告した。
「ベランダから、誰かが覗いていました」
 中佐の眼差しが、とたんに鋭さを増した。
 彼が素早くライフルを取るのを見て、ジリアンは急いで付け加えた。
「目が合ったら、逃げてしまいました。 全身黒っぽい服装で、黒いマスクもしていたようです」
 中佐は頷き、銃を掴んだまま三つある窓に近づいて、鎧戸がきちんと閉じているか確かめた。
 戻ってくると、彼は厳しい表情を崩さず、手短に言った。
「見張りは何をしているんだ」
 ジリアンの意識に、強い緊張が走った。
「では、私も狙われているんですか? マークのように?」
「いや、彼のようにではないでしょう」
 中佐は穏やかな口調に戻り、ライフルを棚に入れて目隠しのカーテンを引いた。
「あなたの命を奪おうとするとは思えません。 ただ、あなたの居場所を確かめたかった。 本物だと知った以上は、すぐ手を打ってくるでしょう」
「どんな手を?」
 中佐は、見事に刈り込まれた髭を指でつまんだ。
「誰かがあなたに会いに来るはずです。 ご両親か、その使いが有力ですね」
「親は、とっくにこんな娘を見捨てているんじゃないでしょうか。 上の姉が駆け落ちした後、縁を切って見向きもしなくなりましたから」
「いや、あなたはさらわれたことになっているはずです」
 中佐は冷静に指摘した。
「誘拐しての強制結婚は、法律上認められないので、取り消し依頼ができます」
「強制なんかされていません!」
 ジリアンは必死で叫んだ。 マークとの結婚に満足しているわけではないが、彼が必ずうまく処理してくれるという希望に、一筋にすがっていた。
 中佐は、テーブルに浅く座って寄りかかった。
「わかっています。 堂々と闘いましょう。 わたしは学生時代にナサニエル・デントン・ブレアと同窓でした。 あいつは悪魔みたいに頑固でね、その上天使のように正義感が強いという厄介な人間で」
 髭に半ば隠れた口元が動き、少年の日の面影を髣髴〔ほうふつ〕とさせる笑顔になった。
「意見が食い違うこともままありましたが、今回のことでは完全に一致しました。 あなたの安全は、二つの大貴族の家柄に重大な関係があります。 きちんと筋を通すつもりです」














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